近所にある知られざる札所(霊場)を探索しています。わたしの興味はあくまで身近なところに限定されていて、遠いところの話とか振られても「あっそう」で終わります。コメント欄に濃い事書き捨ていく人はたいてい相手にされませんのでよろしくおねがいします。
最近動きのある記事のインデックスにつきトップに表示しています。
濃い事書かれても相手にしないっていうのは、もっと正確に言うと意味がよくわからない事があるので困るっていうことです。特に行ったこともないような場所の話を書かれても「え、ああ、そうなの?(ポカーン)」みたいな感じになってしまいまして…別に全国の札所を研究してるわけでもございません。専門家でもございません。ただ調べ始めるとしつこいです。
以下はわたしが作っているブログ(今見ているこのブログの一部だったり、外部ブログの記事だったりしますが)のうち、札所関連の記事へのリンク集です。情報が込み入ってきたので、少し書き直して順番も変えたんですが、かえって分かりにくくなったかもしれないです。すみません。インデックスとか言いながら一覧性がまったくないし!
◎謎の二番から始まる水元霊場探訪(水元水郷弘法大師二十一ヶ所)
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20160928p5515
散歩中に二番と刻まれた弘法大師像を見つけ、二番があるなら一番や三番も近くになきゃおかしい、と思って探し始めたら、このあたりが村から葛飾区に変わった頃に作られた霊場巡りだったことが判明。2019年7月現在、三番を除きすべてみつかりました。三番は民家にあったそうなんですが、霊場終いをして大師像はどこかのお寺に納めたとのこと。
◎三郷市の謎の石杭(八十八石)
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20161003p5623
新四国四箇領八十八ヶ所という霊場めぐりの道標らしいんですが、まわりに建物がみっちり立っているので、よほど気をつけて見てないと気づかないようなところに立ってます。新四国四箇領そのものは知られてる霊場ですが、わたしが注目してるのは見のがしがちな「道標」なんです。「八十八」と刻まれた石柱が、あなたの家の前にもあったりしませんか?/2020年11月現在、葛飾区内の四箇領札所にいくつかの八十八石があるのを新たに見つけました。都内のものは道路を広げる際に撤去され、お寺に納められてしまっているんでしょうね。三郷市は街道沿いに残っているからかえって目についたんだとわかりました。
◎八十八石の都内版
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20220215p8688
都内で見つけた八十八石もここにまとめてみました。金蓮院の南にあるものに造立年が刻まれていて、八十八石は明治三十八年ごろに作られたものだと判明しました。ずっと昭和初期のものだと思ってたんですが、もっと古かったです。
◎またまたみつけた霊場巡り(新田組二十一ヶ所)
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20161024p5865
葛飾区水元の北、小合溜の向こう側。今の地名でいうと三郷市鷹野にあたるいくつかのお寺にも二十一ヶ所巡りがあります。これも散歩中に何気なくみつけました。2019年7月、本腰を入れて探そうと思ってます、しかし徒歩とバスでの寺社めぐりはけっこうキツイ。ご利益はさっぱりないし(爆死)/2020年9月現在、6ヶ所の札所を発見しています。情報募集中です。/2020年11月10日現在、新たに五番を、また五番と同じ日付で作られた番号のない像を発見。明治42年に開かれた霊場めぐりであることも解明。/2022年6月現在、開創当時の21箇所のリストを発見。
◎黒大師を探せ!
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20161130p6450
水元五丁目の遍照院というお寺に八番と刻まれた黒っぽい大師像があるのですが、その続きを三郷市内でもう一体みつけた、という話。2019年7月現在、コメント欄で教えてもらい18ヶ所発見できました。未発見は三番、十二番、十五番です。
◎江戸川八十八ヶ所のうち三郷市内の札所めぐり
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20200925p8437
新田組廿壹ヶ所と一部の札所がかぶっている江戸川八十八ヶ所のうち、三郷市内にある札所をまわってみました。一部ネット情報のおかしな点も指摘しています。
◎江戸川八十八ヶ所めぐり流鉄沿線をいくつか
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20200929p8492
三郷市内の大師像と比べてみたくて、流山線沿線の札所をいくつかまわってみました。
◎江戸川八十八ヶ所の49番 流山市長崎・金乗院
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20220527p8754
江戸川八十八ヶ所は家から遠いので全部まわろうとは思っていないんですが、またまたこのへんに行くチャンスがあって時間があったので見に行ったわけです。大師堂と大師像があって、台座の脇に手が入ったのでスマホで撮影してみたら、なんと造立年が江戸時代で、江戸川は昭和9年の開創なのに像はそれ以前のやつだった!という発見を記事にしたものです。あと…恐ろしい事に、さらに別の霊場巡りを発見しました。でも家から遠いので、追求したくても出来ないと思う(笑)詳しくはリンク先を読んでください。
◎江戸川八十八ヶ所のうち常磐線の南側
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20220623p8828
松戸に買い物に出たついでに、馬橋から小金井くらいまでなら歩けそうだなと思って足を伸ばしてみました。
◎江戸川八十八ヶ所・柏市内の24番と26番
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20220629p8870
これ以上まわれないとか言いながら、柏についでがあったので行ってみた 2ヶ所。24番はお寺はあるんですが大師堂はなくて、26番は四号稲荷という神社の境内にあります。
◎東金町金蓮院境内二十一箇所(石版)
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20240602p9166
東金町の金蓮院というお寺の境内だけで完結している(たぶん)小さな霊場巡りです。石版が21枚(たぶん)あって、1枚1枚に番号と絵が刻まれています。彫りが浅くて肉眼では何が書いてあるかさっぱりわからないのですが、写真を拡大してトレースして、何の絵か考えてみました。現在1〜20番まで存在を確認しています。たぶん見落としてるだけで21番もあるんじゃないかな。
以下にあげるのはうちのまわり(葛飾区水元あたり・三郷市の南部など)に順路の一部または全てがあって、わたしが知ってる弘法大師系霊場(札所)めぐりと関連記事へのリンクです。新阿弥陀、三十三観音、七福神などは含めていません。
「こんなの誰も知らないのでは?」みたいなローカルなやつを散歩中にみつけるのが面白く、世間の人がみんな知ってるみたいなのは注目の優先順位が低めです。
新四国四箇領八十八ヶ所(前述)
瓦大師(黒大師)二十一ヶ所(前述)
江戸川八十八ヶ所(前述)
新田組二十一ヶ所(前述)
水元水郷弘法大師二十一ヶ所(前述)
南葛八十八ヶ所(いろは大師)
葛飾区内の行く先々にあるので知ってはいるし、見つけると写真をとらせてもらったりはするのですが、ネットも情報が多いので、個人的な優先順位は低めです(でした)。でもこれは全部回ってみたいような気がしています。一ヶ所だけ、謎の石碑についての記事書きました>柴又・医王寺にある石碑の謎
みんな知ってるので追求しないつもりだったんですが、南葛八十八と呼ばれている霊場めぐりは2系統あるんです。葛飾区新宿、亀有、柴又あたりを通るのは、大正時代に葛飾区新宿在住の恵心和尚という人が開いたもので、大心講(「だい”し”こう」と読むそうです)という講がお世話をしていたようです。後述の南回りと呼び分けるため、わたしは恵心和尚が最初に作った元大師の名前をとって「いろは大師」と読んでいます。
南葛八十八ヶ所(南回り)
こっちの南葛八十八ヶ所は、葛西や小松川など、旧南葛郡の南部を通る霊場めぐりです。一部はいろは大師と札所がかぶっています。下町タイムス社の『江戸・東京札所辞典』によれば、明治時代末期に開創されたもので、江戸時代の東葛西領八十八ヶ所の札所をベースにして明治末期に開かれたものだとのこと。こちらもすでにいくつかの札所を回っていますが、どうも大師像や大師堂の造立をおこなわず、御詠歌と札所番号を書いた木の板を札所に掲示していたようなんです。板なので消えて読めなったり、失われやすかったりして、今では痕跡も残っていないケースがあるみたいで悩ましいです。札所になっている一部のお寺に東京八十八ヶ所、葛西二十一ヶ所と刻まれた木の板も納められているので、これらとも関係があるかもしれません。いろは大師と見分けがつかないと困るので、わたしは「南葛南回り」と呼んでいます。
南葛いろは大師と、南葛南回り。名前が同じなのにぜんぜん違うものが二つあるって気づいちゃったその瞬間に「だめだ、全部回らなきゃ。回らないと気が済まないんだ!」という感じになって、今いろは大師のほうを8割りくらい回ったかと思うんですが、落ちついて情報を整理しているうちに「台座の脇も写さないとだめだ」みたいな気分になったりしています。もう何周かしようかとも思ったことはあるのですが、すべての台座に造立年が刻まれているわけじゃない事や、壁に近すぎてスマホすら入らないケースとかもあり、コロナ禍ということもありますのでよほど気になった霊場のみ再訪するにとどまっています。(あ、でも、五十肩は良くなったので、それは御利益であったと思うことにしていますよ!)。
南葛はこのブログに記事を作るにはあまりにも情報量が多すぎるので、外部にブログをもうひとつ作りました。
◎二系統の南葛八十八ヶ所(はてなブログ)
https://nankatu.hatenablog.com/
2021年中に、いろは大師、南回りの両方の霊場をすべてまわりきりました。二系統の南葛をめぐっているうちに、東葛西領八十八ヶ所のものとおぼしき石碑や扁額も多数発見するなどしました。
完全に未知の霊場めぐり
ここから下は二系統の南葛や黒大師などをまわっていてみつけたもので、南葛、四箇領、荒川辺、荒綾のどれにも属さない謎の番号が入った御詠歌の扁額や、石碑、大師像を発見しました。
◎何に属するかわからない札所番号(これは東葛西領八十八ヶ所とほぼ判明)
https://nankatu.hatenablog.com/entry/2020/12/30/104122
調べが進むうちにわかったのですが↑このページにまとめたものは、東葛西領八十八ヶ所という江戸時代の霊場巡りのものらしいです。明治の終わりころにはもう廃れていたと思われます。この霊場巡りについては『文久二年戌年四月吉日 東葛西領新八十八ヶ所詣ひとり案内』と呼ばれる文書でしか記録がなく、この文書にもここを通ったという地名しかないため、全札所のリストは作れないはずです。わたしがみつけたような石碑や御詠歌の扁額が残っているお寺もあるため、一部の札所は確定できます。
ネット上に東葛西領八十八ヶ所の全札所を公開してる方もいらっしゃるのですが、それはおそらく「文久二年に存在していた真言宗の寺」という条件で候補をしぼり、おそらくここだろうと「推定されたもののひとつ」でしかないと思われます。
◎葛西地区〜船堀地区に点在する昭和8〜9年ごろに作られた霊場巡り
https://nankatu.hatenablog.com/entry/2021/11/10/101953
これも全貌はわからないのですが、番号の入った石の大師像が江戸川区内に点在しています。その多くは昭和8〜9年ごろの造立年が刻まれており、南葛や四箇領や東葛西領の番号とは一致しません(時代も違うし)。今までにみつけたもので一番大きな数字は26番なので、48箇所か88箇所巡りだと思われます。
◎松江村廿一箇所の十番(東小松川宝積寺)
https://nankatu.hatenablog.com/entry/2021/01/10/121638
まだ東小松川宝積寺の十番しか見つけておらず、全貌はまったくの不明なのですが、御詠歌の扁額があり「松江村廿一ヶ所第十番」と書いてありました。上記リンク先は南葛八十八ヶ所の札所めぐりの一部なので、ちょっとわかりにくくてすみません。
◎葛西廿一ヶ所、番号は不明(北小岩真光院、東京八十八御茶湯講)
https://nankatu.hatenablog.com/entry/2020/11/25/133843
これも北小岩真光院の一ヶ所しか発見できていませんが、西廿一ヶ所と書かれた扁額が存在します。上記リンク先は南葛八十八ヶ所の札所めぐりの一部なので、ちょっとわかりにくくてすみません。(書いてるわたしも頭混乱しまくっているのです)
弘法大師二十一ヶ所(元光明院のみ発見)
JR三郷駅近くの元光明寺に「弘法大師 廿一ヶ所 ○番 光明院」と刻まれた石柱がありますが、それ以上のことは現在まったくわかっていません。
2022年7月追記、その後このお寺が新田組廿壱箇所の一番札所であることが判明しました。○番の部分は欠けたのを継いであって、番号がはっきりしないのですが、もし一番と書いてあるのなら新田組の石碑なのかもしれないです。霊場巡りは沢山あるので更に別のという可能性もあります。元光明寺のことは新田組の記事にあります。
東和霊場(一番は香岩寺)
詳細は完全に不明で、三郷市の香岩寺の大師堂に「東和霊場一番」と掲示されています。もしかすると「東和で最高」の意味で、○ヶ所めぐりではないかもしれません。 2022年2月追記、これもやはり○ヶ所めぐりだと思います。というのは、黒大師(瓦大師)11番のお堂に「東和霊場昭和二十二年十一月二十一日開山」と書かれた木の札があることに気付きました。黒大師のお堂が東和の何番にあたるのかはわかりません。二ヶ所あったからそろそろ記事にすべき?/2022年7月追記、いややっぱり「東和で一番」の意味かもしれない。もう一ヶ所見つけたっていうところへもう一度行ってみたんですが、「東和霊場昭和二十二年十一月二十一日開山」の札をよく見たら「開山會」と書いてあって、裏側に梵字と何か書いてあった跡があるので、香岩寺の大師堂が完成した時に頒布されたお札なのかもしれないです。いずれにせよ写真とってきたので記事にしてみました。
◎東和霊場はめぐれるやつなのかどうか
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20220706p8920
【2024年10月追記】
以下はあまり頑張らず、行けそうなところだけ行く気持ちで少しずつまわっています。これ以上ブログを立てるのは面倒なので、PDFにしてgoogleドライブにアップロードしていくことにしました。
ログインせずに見られる設定になってるはずなんですが、もしログインを促されたらgoogleのアカウントでログインしてみてください。googleはgmeilと同じです。ログインしても誰が見たかわたしに知られる事はありませんので御心配なく。
◎荒綾八十八ヶ所
https://drive.google.com/drive/folders/1-hIBB_knxk6Pq3FidJEbS_A_jctHYNa0?usp=drive_link
この大師巡りは明治40年代に信仰互心会が開創したもので、大師像や大師堂がないタイプのようです。改装後に荒川放水路(現在の荒川)の工事があり、札所の場所が大きく移動しました。そのため大正末期に道標石が建て直され、それが各寺に残っている事があります。
◎吉橋八十八ヶ所
https://drive.google.com/drive/folders/1GWyPjrcAqUxiN3TZuhdwFg7fAbLnA–V?usp=drive_link
文政六年(1823年)に開創された霊場巡りで、千葉県船橋市、八千代市などに札所があります。一部ついでがあって見てまわりましたが、ほとんどは普段行かない場所なので全部はまわれないだろうな、と思いながらやっています。少なくとも昭和の末期まで霊場を巡拝する講があったようです。各札所に大師堂があります。
以下は行ける範囲に札所があるものの、あまり注目していない霊場巡りです。
荒川辺八十八ヶ所
これも行く先々に札所があるっぽいんですが、大師像や大師堂を作らないタイプの霊場めぐりにつき、札所になってる寺を見ても気づかずにスルーしてるみたいですわたし。
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