またもや発見してしまった弘法大師霊場巡り。呼び名がないと面倒なので、ここでは黒大師と呼んでおきます。霊場巡りが複数系統でてくるので、この記事では黒大師を漢数字で、それ以外はアラビア数字で書きます。# 2019年、正しくは瓦大師と呼ばれているとコメント欄で教えていただきました!
八番:遍照院
水元水郷弘法大師二十一ヶ所を探している時に、遍照院(葛飾区水元五丁目)に「黒い八番さん」がいることに気づきました。遍照院は新四国四箇領の35番目、水元水郷の14番と19番で、「八番」はそれらとは別系統であるはずです。
▲遍照院の大師像。真ん中が黒大師の八番。両脇は水元水郷の19番・14番。
▲拡大するとこんなお顔です。この表情をよく見といてください。
十一番:旧家の前
▲これは三郷水門の南にある大師堂です。お寺ではありません。路上と言っていいのかどうか…道路に面しており、誰でもお参りできますが、ひょっとすると隣接する旧家の私有地かもしれないです。このお堂の中に…
十一番さんのほうが細部に凝って作ってありますが、材質が似てる。縦に長い感じの体つきや、お顔つきも似てる。番号の入った台もデザインが共通。これは同じ系統のものと判断していいんじゃないでしょうか。
現在発見できたのはこの2体で、作られた年代などはわかりません。何体あるのかも不明です(88体か21体か?)。
コメント欄に貴重な情報が!
2019年、コメント欄とメールで小川さんから黒大師のことを教えていただきました。黒大師が黒っぽいのは瓦で出来ているからで、そのため瓦大師と呼ばれており、二十一ヶ所の札所巡りだそうです。また、明治35年ごろに開創されたのではないかということです(詳しくはコメント欄をご覧下さい)。
小川さんが『足立史談』に寄稿された記事を拝見し、瓦大師の札所を番号付きの図にしてみました。
地図を作り直しましたちょっとはマシになったでしょうか(パソコンの人は地図の上で右クリックしてリンクを新規タブで開くとかすると最大限大きい地図になると思います、たぶん)。飯塚橋近くの 1番から、大場川水門の対岸にあたる21番まで、ぐるっと一周していることがわかるでしょうか。
19番、20番は、現在では中川の東側にあるのですが、昔の川の流れを書き足してみると、8〜14まで三郷市の中川沿いを北上して、16〜12までは八潮市側に渡って南下しているのがわかります。
これを元に、めぐってみることにしました。
一番:常善寺
▲足立区大谷田の常善寺の黒大師(瓦大師)。(左)材質こそ黒大師と同じですがポーズが違います。台座には壹番と書かれているようです。/(右)ポーズはこれまでにみつけた像と同じですが、台座に雷紋があり、これまで見つけた黒大師とは一味違うような気もします。
常善寺の黒大師は境内にある大きな大師堂の中にありました。もしかしたらお坊さんにお願いすると大師堂を開けてくれるかもしれないのですが、アポも取らずにフラっとお参りに来てしまったので、窓から写せるのはこの上の二体だけでした。
『足立史談』N0.582(PDFファイル)によれば、ここには三体の瓦大師(黒大師)があって、二体は瓦屋さんの習作だそうです。撮影できたのは習作の方かもしれません。
二番:西光院
一番から中川沿いに南へ。二番は足立区中川の西光院だそうです。こちら、昼ごろ前まで行ったのですが、門が閉まっていたので参拝はしませんでした。通用門はあるのですが、それもがっつり鉄の扉があって、施錠されてないとしても、通りすがりにちょっとお参りしていい感じではなかったので、遠慮しました(弱くてすみません)。
三番
まだ発見されていません。順路から考えると、亀有から金町方向に向かう途中にあったんじゃないかという気がします。
四番・観蔵寺
東金町七丁目の観蔵寺の本堂あるそうで、そとから覗いたくらいじゃわかりませんでした。
五番:高洲→つくば市
五番の黒大師は、現在つくば市の向山寺にあるそうです。そこが札所だったというわけではなくて、もともと三郷市の高洲というところにあったそうです。
◎向山寺:寺の歴史
http://daigo.ne.jp/temple_new/?jiseki_id=100134&page=2
このページの左上にあるのが黒大師の五番だと確認されているそうです。向山寺を開山した妙響さんという人は三郷市高洲の生まれで、お父さんの守三さんがこのあたりに真言宗を広める活動をして守大師とまで呼ばれていた人だそうです。
六番:業平山南蔵院
▲しばられ地蔵の業平山南蔵院(葛飾区東水元)の、太子堂の裏手の茂みの中に! これはわからないわ…
2024年5月追記:六番は南蔵院境内の藤棚の下に遷座されました。詳しくは下記を見てください。
◎黒大師の六番、水郷大師の七番(南蔵院)
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20240511p9151
七番・長伝寺
▲七番は葛飾区東水元の長伝寺です。ここは水元水郷弘法大師の6番でもあって、以前もお参りしたのに黒大師の存在に気付いていませんでした、同じ大師堂に納められているのに……!
八番・遍照院
八番はについては上のほうに書きました。わたしが最初にみつけた黒大師(瓦大師)はここです。水元五丁目の遍照院。
九番・常楽寺
九番は三郷市戸ヶ崎の常楽寺だそうです。本堂に向かって左手に立派な大師堂があるのですが、いつも戸がしまっているので中を見るのはやめました。
十番・西福寺
十番は三郷市戸ケ崎の西福寺だそうです。こちらは境内に大師堂のようなものが見当たらなかったので、本堂にあるのかもしれません。
十一番・路上
これについては上のほうに書きました。わたしが遍照院の次にみつけたのはここでした。三郷市栄の路上にあります。
十二番
まだ発見されていません。順路的に三郷放水路より北で、花和田の十三番より南にある(あった)はずです。
十三番・西善院
▲三郷市花和田の西善院、十三番。新しいお堂の中に納められていました。
# ミスが多くてすみません。十三番は華隆山西善院大聖寺です。いままで西善寺と書いてました。すみません。2019.08.26.
十四番・密乗院
# ただしくは 狩場山密乗院 と言うそうです。これまた密乗寺と書いてました……ご指摘ありがとうございます。# さらに間違いでした。はちみつの蜜ではなくて、ひみつの密だそうです。
十五番
まだ発見されていません。十四番は川の東側、十六番は川の西側です。ちょうどこの二つの間に花和田の渡しというのがあったそうですから、共和橋からそう遠くない場所に十五番があったかも知れません。もしくは、少し上流の八條の渡しを使う想定で、もう少し北のほうに十五番でしょうか。
十六番・普門院
▲十六番は八潮市二丁目の普門院です。十七番の普門寺とは別のお寺です。
十七番・普門寺
▲十七番は八潮市南川崎の普門寺です。
十八番・旧光明寺
十八番は八潮市伊勢野にあります。現在では天満宮(神社)の境内に大師堂がある形になっていますが、昔はここに光明寺というお寺があったそうです。
十九番:宝光寺
このあたりは、蛇行していた中川を明治時代に改修したあたりで、そのせいかお寺に続く道が入り組んでいます。地図を見てお寺があることには気付いていたのですが、なかなかお参りに行けずにいました。ここが十九番だったなんて、やはり気になるところはスルーしてはいけなかったんだ!
二十番:福蔵院
このお寺は過去に何度かお参りして、写真のような大師堂の存在にも気付いていたのですが、戸に曇りのあるガラスがはめられていて、中がよく見えず、黒大師だとは気付きませんでした。
# 正式には薬王山福蔵院最勝寺というそうで、さっきまでまちがえて福蔵寺って書いてました、すみません。2019。08.26
二十一番:大光寺
四国の八十八ヶ所を写した小さな大師像の中心にあるのですが、等身大大師像の後ろに隠れていました。
番外:柳野稲荷神社
ここは稲荷神社ですが境内に大師堂があります。着色されているので瓦だとわかりにくいのですが、顔立ちが黒大師によく似ています。台座は弘法大師の椅子を模したのでしょうか。数字はありません。黒大師を作った瓦屋さんの習作のひとつなのでしょうか。
黄色いポイントが偶然見つけた札所です。
緑は教えてもらってお参りしました。
青いポイントは、札所であることは間違いないんですが、像がどこにあるか確認できなかったところです(お坊さんに聞いたらわかるかもしれませんが、アポをとってお参りしてるわけじゃないので声をかけづらいです)。
紫のポイントは瓦大師と同じ製法で作られた大師像のあるところです。
三番、十二番、十五番 が未発見です。
<2>【追記】2022年2月20日
下の写真は第十一番のお堂にあった木製の札なのですが「昭和二十二年十一月二十一日東和霊場開山」と書かれているようです(開山の「山」の部分が少し薄れてて曖昧ではありますが)。
まさか黒大師二十一ヶ所がそんなに新しいのかと一瞬驚いたんですが、よくよく考えてみると「東和」は三郷市の一地域です。黒大師自体は葛飾区、足立区、三郷市、八潮市をまたがる広範囲にあるので「東和霊場」というさらに別の霊場巡りの札所にもなってるということなのです。そういえばこの近くの香岩寺に「東和霊場第一番」と書かれた大師堂があるのでした。あー、また発見してしまったか、知られざる霊場めぐり(笑)
なお、十一番さんの台座の横を拝見したのですが、残念ながら造立年などはなくて、黒大師(瓦大師)そのものがいつごろ開かれたものなのかはわかりませんでした。
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第二番大師像は、昭和8年ごろに開創された、「水元水郷廿一ヶ所」です。
葛飾区立中央図書館に私が書いた小冊子があります。襟帯ですが、ご覧になれば
全貌が判るかと思います。(開創当時のかたちですが・・・。)
現状は、作成した霊場図がありますので、メルアド教えていただければお送りい
たします。
「黒大師」と言われているのは、「瓦大師」という瓦を造る技法で作られた大師像で、黒いのはそのためです。現在15体を確認済みです。一番後に発見した大師像
を見つけられたのは感心しました。明治35年頃に「四箇領八十八ヶ所」の札所を
中心に開創されたと推測しております。
こちらは足立史談に4回にわたって投稿させて頂きました。
ネットで「足立史談」から検索すればご覧になれます。
以前、2番の投稿をよませていただいていたので、今回はコメントしてみました。
なお、当方73才になるこのような古い物を探している変わり者です。
返信のほど、よろしく!
あああ、ここにもコメントがあったのに、今気付きました。足立史談の件もここにちゃんと書いてあったのに、わざわざメールで聞いてしまって失礼なことを致しました。
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