『勝五郎再生前生話』を解読中です。文政年間(1800年代前半)の本で、勝五郎という少年が自分の前世を語り出したという実話を記録したものです。
底本
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he13/he13_00361/
児子再生前世話(勝五郎再生前生話)
ついに最終回。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_00361/he13_00361_p0010.jpg
(後半部分)
近頃村中にては勝五郎といはず
程窪小僧とあだ名を呼び外村よりも
見に来る人もあればはづかしがりて
やにわにかくれるにより勝五郎が
直咄しは聞事不叶祖母つや
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_00361/he13_00361_p0011.jpg
の物語りにて是を書当?る也扨又源蔵
夫婦祖母つやの内に何かぼだひを
せし覚有やととふに何もさのみ
施事もせず祖母つや明暮念仏
をとのふ出家乞食の門口に立時
有ばいつも銭二文つゝ放捨をする
外には節?事といふ程の事もせ
#扨 さて
#さのみ たいして、それほど
ーー
ざりしといふ
右は冠山老矦自ら彼地へ至りて源蔵の
家御尋被成勝五郎をも御覧の上祖母
つやの物語りを直に被為聞御自身に
御筆記挺?され候を老矦より直に御話
伺ひ且御筆?記を拝借して書写す
# 矦=侯
# 被成 なられた
# 被為〜 〜なされた
#且 また
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_00361/he13_00361_p0012.jpg
るものなり
文政六年未年三月八日 誌主?
今回の内容は著者と編集者の後書きです。
著者
「すっかり話題になり、村では勝五郎を程窪小僧とあだ名した。遠くからも見物に来るので、勝五郎は恥ずかしがって隠れてしまう。この話は祖母から聞いたものである」
編集者
「右の話は冠山老候が自ら現地に出向き、勝五郎をごらんになった上で祖母から話を聞き御自身で筆記なされたものです」
冠山というのは、鳥取藩の支藩にあたる、若桜藩のお殿様・池田定常のことだそうです。そのせいか、編集者の後書きは、やたらめったら格式高い口調で書かれています。
今回はまったく読めなかった文字がなく、自信のない文字だったら何ヶ所かあります。
たとえば、勝五郎の祖母が「明け暮れ念仏をするくらいで、特別なことはしてない」と語る部分で「節事」と読めそうな部分が出てくるのですが、仏事も節事と言うものでしょうか。
ほかには「書当る」なんて単語はあるか?
「御自身に御筆記挺され候」というフレーズは不自然じゃないか?
また、最後の最後に出てくるこれが「誌主」のような気はするけど、主の上点が一個多いし、左上にも変な点があるのが悩みの種です。
この署名は原著者のではなく、原著者から手記をもらって書写した人の署名です。責任編集者みたいな意味かもしれないなと思い「誌主?」としたのですが、何かぜんぜん別の読み方をするかもしれません。
と、書いてから気づいたのですが「誌堂」かもしれないですね。
http://clioapi.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/ZClient/W34/z_detail.php?title=%E5%A0%82&mgno=34224728&count=83&countAll=85
そんなこんなで最終回でした。前世を語る勝五郎は九才の少年です。昔のことなので数え年でしょうから、満年齢だと八才か七才ってところでしょうか。勝五郎がその後どうなったかわからないのが残念ですが、こういう話が実話として記録されているのは興味深いことです。 カテゴリー:
>誌□
これは、もしかすると「誌至」で「誌す(しるす)に至る」と読むのかもしれんですね。署名じゃなくて「書きました」という意味なのかもですね。
http://clioapi.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/ZClient/W34/z_detail.php?title=%E8%87%B3&mgno=34019851&count=17&countAll=196
だいたい埋まったかもしれないです。