▲解説板。倉知儀平さんが冬至の日に海辺で拾ったと書かれています。だから冬至弘法。昔は屋敷内にまつられていたとのこと。
仏像は、海や川で拾われたなんて話がけっこうあるものです。それらがすべて実話とは限りませんが、どこか遠いところから縁があってここに来たのだと思うと、なんとなく不思議な気持ちになります。
昔はいまほど治水技術も進んではいませんから川の氾濫などしょっちゅうで、上流から仏像が流れて来たことも実際にあったかもしれません。そういう出来事がやがて神仏の神聖さをあらわす記号になって、御利益があるとされる仏像の由来に結びつくのかなあ、なんて思います。
▲そしてこれが冬至弘法さま。石の感じからして、それほど古いものではなさそうに見えます。僧形で逆手に金剛杵を握っているのはあきらかに弘法大師ですが、光背が炎です。まるで不動明王像みたいに燃えています。
一体何を思ってこのようなデザインにしたんでしょう。解説板には火伏せや火難除けを願ったものだろうと書かれていますが、関東人の感覚だと「え、そうなの?」という感じ。
不動明王像って、水のそばにまつられてる印象です。土手の切れそうな場所とか、水が湧いている場所とか、滝とか。
逆に燃えちゃ困るものの近くには水と関係したものが置かれてるような気がします。破風についてる飾りを懸魚(けぎょ)と言ったりするし、お寺なんかだとそこに水に関係した彫刻を置いたりもします。旧家の屋根瓦に「水」という文字が刻印されてるのとか見た事があります。
そこらへんの感覚は、愛知県方面ではどうなのかよくわかりませんが、冬至弘法さんはなかなかユニークで素敵ですね。
冬至弘法さんはポケストにもなってます。
カテゴリー: