▲平成元年に作られた閻魔大王座像。公式サイトによれば「全高3.5m 全幅4.5m 重量1.5t 寄木造り」とのこと。閻魔(えんま・ゑんま)様の像としては日本最大だそうです。
ここはハイテク閻魔様として有名で…
▲おさい銭を入れるお椀のようなものが沢山並んでいる。夫婦円満、息災延命、商売繁昌…など、ひとつひとつ別の御利益が書いてあるので、自分の願い事と同じお椀におさい銭を入れます。
すると、堂内がスポットライトで照らされて、ありがたいお説教が流れてくるのでした。おお、ハイテク!
お説教の内容は、閻魔様の言葉っていうよりお坊さんのアドバイスみたいなやつなんですが、正直言うとわかったようなわかんないような、あんまり内容がないんですが、御利益にあわせてそれぞれ別のことを言うみたいです(全部は聞いてませんが)。
余談ですが、こういうハイテク閻魔様の仕掛けが、葛飾区か江戸川区にもあったようなおぼろげな記憶があり、心当たりをお参りしてみましたが、そういう仕掛けはみつかりませんでした。新小岩の上品寺がそれっぽいんですが、自分の思い違いだったかもしれないです…
閑話休題。深川ゑんま堂には曽我五郎の足跡なるものがあります。
これなのですが、目立つ大きな石碑は「鳥塚」と書いてあるので関係なくて、左下の小さな石柱に「曽我五郎の足跡」と書いてあります。
▲曽我五郎の足跡。石に人の足の形をした窪みがあります。ゑんま堂の公式サイトによると、曽我五郎が、老いた母親を背負い、仇討ちを報告した(誰に?)際に残されたものだそうです。曽我兄弟の仇討ちは、歌舞伎の演目として人気なので、歌舞伎に縁のあるこのお寺に納められたものだとか。
曽我五郎、曽我兄弟というのは、まだ幼い曽我兄弟(十郎と五郎)が父親の仇を討つ話です。親の仇は源頼朝にかくまわれているので、頼朝が催した「富士の巻狩り」の際に、仇を襲って討ち取ります。兄の十郎は乱闘のすえに殺されてしまうのですが、弟の五郎は捕らえられて処刑されたってことになってます。
その富士の巻狩りが、建久四年五月二十八日(1193年6月28日)だとtwitterで返信をもらったので、そういえば足跡あったなと思って記事にしてみました。話の発端は業平忌だったんですけどね(笑)
◎関連記事:富士山半周北回りの旅
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20150608p2027
まさに「富士の巻狩り」の舞台をおとずれた時の記事です。巻狩りの訓練を再現したイベントとか、音止の滝といって、曽我兄弟が仇討ちの相談をした際に、近くの滝がうるさいので神に念じたところ、滝の音がピタッと止まったという伝説のある滝なんかが写真付きで出てきます。
◎関連記事:十五郎穴
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20161110p6238
これは茨城県にある横穴墳墓ですが、曽我十郎と五郎の兄弟が隠れ住んだという伝説(あくまで伝説)のある穴です。そういった伝説が各地で語られるくらい曽我兄弟の仇討ちは有名な話だったってことですね。
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