東京都江戸川区には、三角という地名があります。読みは「さんかく」です。みすみとか、みかどとかじゃなくて「さんかく」。
▲ただし、現在の地名だと江戸川区江戸川6丁目とかにあたります。
地図で言うとこのへんで、今でも店名に「三角」を入れてるお店がけっこうあります。
川沿いで、道が斜めに走っており、土地が三角だからじゃないかと思うのですが、どうもそうじゃないらしいです。
『嘉陵紀行』という江戸時代に書かれた旅行記に、このあたりの川に渡し舟があり、三方向に人を渡したから「三角の渡し」と呼ばれている、と書かれています。
ただの渡し舟なら三方向に行き来するのはおかしいような気もしますが、このあたりの土地が、新川と古川(現在は一部が暗渠になっている)によって三つに分断されているので、そのような渡し方になるのかな、と思います。
これはあくまで想像図ですが、こんなふうに渡し舟が運行してたんじゃないかと想像します。
◎『嘉陵紀行』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952975
これのどこに書いてあるか、現在調査中です(ここはネット上で見るのが難しいので、PDFに落として見る必要があり、激しく面倒くさいですw)。
みつけました。66コマですね(ここをクリック)。ちょっと長いですが引用します。
舟掘の水は利根より落て、西流中川小奈木へ入、隅田川へも入、この頃水上雨ふりしにや、今日一入に水かさまして、逆巻き流る、江戸の方より利根へ上る舟は、大小共皆引てのぼる、利根まで行て帆を揚げ走る、太平舵は数人れんじゃくをかけて、綱を引て上る、利根よりすこしこなたに、三角の渡しといふあり、此處に元利根の掘わりあり、棹さして三方へ渡る故に、しか呼べり、元利根迄中川御番所より二十八丁あり、元利根迄十丁六間ありといふ、元はこゝより横折て舟掘をほり通されしに、利根より入口にて、毎々舟を損せしかば、今の如く一文字に十町六間掘通さるゝをもて、元利根と呼、今は行止りの掘と成、また中川のわたし場、舟ほりの岸にのぼる處に、北より舟掘に流れ入、これを小松川といふ、川口に渡し有、一ツ家の渡しと言、これを渡りて迸井をわたり、江戸へ出るといへり、三かくの渡しを南へわたりこし。少し計入江の岸にそうて行ば、土橋あり、そこを東へ渡りこして、左右田の畦道をゆけば、長島村、其隣東に葉川村、
最後に出てくる葉川村は、たぶん「桑川村」のことですね。くずし字だと桑と葉は見分けがつきにくいことがあります。
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東京都江戸川区の地名の調査をしている中で、「三角」の地名の由来を調べていましたところ、サイトを拝見いたしました。『嘉陵紀行』の文献の該当ページまでを確認されていて、本当に勉強になりました。このような素晴らしい調査をしていただいて、ありがとうございます。
こんにちは。お役に立ててなによりです。古い地名は楽しいですね。由来を知れば地元への愛着もさらに増しますからねえ。
また検索にでもひっかかったらお越しください。