備前加茂化生狸由来記(未校正)

 twitterで話題になったので「備前加茂化生狸由来記」を読んでみました。神様になった狸の由来らしいですよ。

http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/waso/0002119527/pageframe.htm
 ↑ここにあるくずし字のテキストを、ざっと書き起こしただけで校正を一切していません。ぱっと見て思いつかなかった文字は □ に、読みがあやしい文字は後ろに?をつけてあります。読み返すと前後の流れでだいたい解るんですけど、眠いので今夜はやめます。

==本文ここから==
備前加茂化生狸由来記
翻刻 chinjuh
(注意:あくまで未校正の原稿です。だいたい最後まで目を通すと書き手の癖がわかるので、頭から読み直した時に□にしてある文字、読みが怪しい?の文字なども九割わかる予定です。それと、この書き手は「い」と「ひ」が見分けづらく、ここは ひ だよなあと思いながら「い」にした所が何ヶ所もあり、後々同じ書体で「ひ」としか読めない部分が出てきて、やっぱり ひ だったか、となった部分も修正せずにほうってあります。なんせ未校正ですから)

(序文は省略)

ーー5コマ(ここから物語)
吉備前(きびさき)つ国(くに)加茂(かも)郷上田(うへだ)むら黒喰(くろはくら)といへるところの山上にしづまりまします
魔法宮(まほうぐう)と申は火盗(ひぬすびと)をふせぎ牛馬(うしむま)のまもり神(かみ)にしてやまひにもあれ癖(くせ)にもあれねがひをかくればしるしあらたなることは世の人のしるところなり毎月四日十日二十日を祭日(まつりび)としてさんけいの人々はんじゆせりそもそもこの神のゆらいをたつぬるにたぬきといふけもののかたちにしていまはむかし人王(にんわう)百七代正親町帝(おほきまちのみかど)の御宇(おんとき)永禄(えいろく)十一年なんばん国(こく)の王(わう)合甚尾大王(がうじんびだいわう)あくぎやくをくはだて日本へばてれんをさしむけしころこの渡(と)海のふねにかくれしのびてらいてうせりもとより神国(しんこく)をのぞみしことなればふねつくやいなせんしうさかいすみよし大明神へきたりあまりにたふとくおぼへけれはす日とうりうしけるに同年(どうねん)八月廿四日御(おん)やしろしんどうする事やゝ久し社前(しやぜん)の松(まつ)六十六本ぬけいでけれは此より神主(かんぬし)摂津守(せつつのかみ)三位(さんゐ)豊国(とよくに)禁裡(きんり)へそうしけるこれなんばんこくよりあく逆(ぎやく)をはかりばてれんをさしむけしを六十六国へ□□らせなりそのほか太神宮春日(かすが)大明神八幡(まん)宮の御しん威(ゐ)と仰(あふ)きはやくじゆんはいせんといせさんぐうにおもむきしとうちうくるまうしのなんげうをみてこのうしのなんをたすけんとこのところに

ーー6コマ
多年(たねん)ゐるうち牛(うし)さんぐうありしことはぜん代みもんととりさたせしをきくこのさんくうするうしの背にやなきこりふたつつけ下向(けこう)と見(み)ゆるにこのらいてうのたぬきキウモウこのうしのせに□□ヽゆきて見んとおり□やまぎこりのあいだにとびのり牛の在所(ざいしよ)備中国砦部(あざい)むらにつきけりこのあたりに湯(ゆ)どの山と申ところそのほかにも大なるがんくつありこのがんくつにすまゐすることとおし□□しつたへきくたぬきには牝(めん)なしむじなにまじりて子をうむとさるにキウモウにはめだぬきありてキウモウをたつねて備ちうあさ部むらにゆきけるとなり備中あざゐむらどくしんなつとなのりわうらいの手形(てかた)をものし當国(とうこく)□□郡片上(かたかみ)の駅(ゑき)あたりより病中(へうちう)と申立て(たて)道(どう)ちうかごにのりむらつぎにてお□り□し津高(つだか)郡金(かな)川のゑき虎倉(こくら)むらを通(とを)り備中建部(たけべ)をすぎ又びせん加(か)も市場(いちば)のまちへおくりきた□に□□いさヽか休息(きうそく)の間(あひた)にこのところによき犬(いぬ)あり兼(かね)て鹿(しか)さるをよく猟(かり)すこの犬なつの□しかごのうちをうかゞひ犬□せぎかけとびかゝり一かみにしてころしにたちまち狸(たぬき)の形(かたち)をあらはしけりそのゝちこのまちたびたび放火(ほうくわ)ありかくて元文(げんぶん)六年のころびぜん加茂□くだむら黒喰高味山に銅山(どうざん)はしまり備ちうの国砦部(あざい)むらのさと人何がしこがねを□して山本として立越(たちこ)へ備前表(おもて)より□□□藤原清治(ふぢはらせいぢ)様岡山(おかやま)片右衛門(かたゑもん)様柳沢太郎左衛門(やなぎさはたらうざへもん)様□□□

ーー7コマ
とう山もへとな□□ければ金掘(かねほり)人あまた入きたり諸(しよ)あき人さけ肴(さかな)はいふもさら也妓女(げいこ)遊女(おやま)などもむれきたりてにきにきしくかのたぬきキウモウも金(かね)ことなりてこゝにきたりあまりににぎはしき茶(ちや)みせのありさまを見て度(ど)をうしなひゆう女くるひさまさまのあそびをなしついにらんしんとなりて方々かけあるきそのうち?どう山もやみぬればこの金穴(かねあな)にかへりすまゐする事多年なり時(とき)に宝暦(ほうれき)年中より明和(めいわ)のこよみにうつり九年のある?夜(よる)はおりおりいでゝ牛鍬(くわ)の古ざきをかねとなしこんこんと打たゝきサニヤンニヤンニヤンといふて山のみねにあそへりはじめは所のさと人もいぶかしくおり□のちには狸といふ事あらはれたりあさやかにものいひしかどこのころは何?わざもなさざりける折折(おりおり)は人に化して□る人は人家(じんか)へも立入(たちいり)又夜(よ)ごとにちかきわたりの人々のぜんあくをいひふらしぬさと人夜々(よよ)たぬきかりせんとぐんじゆして鑓(やり)てつぽうかたなの類(るい)をたづさへ犬(いぬ)を□□おもひおもひに得てしどうぐをもち多人(たにん)数手(じゆて)□ばりして山にいりぬれは其(その)山をばさつて異所(ほか)にうつりぐんじゆをし人々の名(を)さ□事いき□鹿于もちがはず又山へゆかざる夜(よ)には人家をまわりあけの夜いふやうさきの□は何がしは誰(た)がところになにわざをしていたりなどものかたりをなせり又正月にいたれば四国修業(しこくしゆげやう)あるひはたびそうろう人と化してむらむらをはいくわいしもちなどもらひためるといへりよりて焼(やか)を?ぬ火にくべるやいなやひきあげて灰(はい)をもおと

ーー8コマ
さずくひやうたゞならねばいかなるものにやといふよりはやくとびさりぬさと人たぬきなりしことあとにてしれり夏(なつ)にいたればむら人にばけて田(た)うへのてつだひくさぎりのたすけをなせ?りそのかたちこしよりした□みちかく口ひげこゆくおとがひほそくしてうたなどうたへばこゑにて人ならざることあらはるばけものかといふよりはやくとびさりぬ又七月のころはむら人の踊(おどり)の中へまぎれ入ておどりをなしまつりの神(かみ)の御(み)ゆきにはやつこふりといふものかたちにばけ又は□いころつ?人て身(み)をやつし人むれの中にいりてはものもいはずそのすがたつね人にあらずと人のさとるやいなや何ともいはずゆきさりぬそのころてつぽうにてうちとらむとおもひあるひは犬なとひいてたぬきをころさんとはかりしものには家(いへ)に火をつけ又はわづらはせさまさまのまがことあるはたぬきならんとさたしけれは同郷(どうこう)圓城寺(ゑんぜうじ)の和尚(おせう)これをなけきばけものゝわさわひなき□に?といのりければおそれをなして立さりぬとかそのゝちはいろさとなどを好(この)み住居(すまゐ)するとさたのみなりしに木のはを銀札(ぎんさつ)に見せ小石(いし)を銀子(ね)などゝ□ひにせ妖謀(ようほう)を以て人をたふらかしかば人々神社(やしろ)へ祈誓(きせい)をこむるよりていづくにも?すまゐしに?ければ又もとの黒喰(くろくひ)の銅穴(どうけつ)にかくれ任?ぬとかやさて又狸ものかたりせし事おりおりありしそのことばにかねこんこんとうちならしサニヤンサニヤン

ーー9コマ
ききたまへそもそもわれてんちく与那国(よなこく)てうじやのうらにて生れあまたのとしをおくりしが日本は神国(しんこく)なればうつりすみたき望(のぞ)みありて渡海(とかい)のたよりをもとめ来朝(らいてう)し今こゝにすま居(ゐ)せりきゝしにたがはず神国の堂?に?と?き?を我きたりてよりこのかたいくとし月を□(ふ)るといへども心□浄(せうぜう)にして第(だい)一御上(おかみ)の御法(ほう)を□り神佛(かみほとけ)を守護(しゆご)し善家(よきいへ)にしたかへりされば夜に日(ひ)におそろしきものなしむだなきことも病(や)みわづらふこともなく□□(かんしよ0の患(うれい)もなしさゝ?つ?に死(し)するといふことしらづ我命(いのち)あらんかぎりは牛馬の難業(なんけう)をたすけ火難盗難(くわなんとうなん)をつげ知(し)らせ善家(よきいへ)一同(どう)の助(たすけ)とならん事深(ふか)き念願(ねんぐわん)なりかつ?は善悪(ぜんあく)の人ら誰(たれ)にてもあれ行跡(げうせき)をたつね頼(たの)へ?つ?ま?む?ら?か?に?こたへ申さんといひ終(おわ)りに外(ほか)の山に行?□こんと打ならしサンヤンサンヤンサンヤンといふと?也さて又上田村のうちに五蔵といへるものありしか独身(どくしん)にて半狂人(はんきちがひ)なりさる□にキウモウこのものかたへ打て□り□事心やすく茶(ちや)なとのみ長居(ながゐ)しては帰(かへ)りしにあるときふたん持(もち)あるきし唐(とう)うちはに似たるものをわすれ置(おき)て帰りsがこの品(しな)は奇物(きぶつ)ににて骨(ほね)もなき生(なま)ものなり皮(かは)ともしれづ紙(かみ)にてもなしこれに書?付(かきつけ)のありしを予(よ)か祖父(ぢい)こゝに行合(ゆきあは)せ見(み)たりしかども書付(かきつけ)字性(じせう)あらあらにて能(よ)くわかりかねしとぞもとより半乱(はんらん)の五蔵なれば此品をとりかくしてさらにかへさず□け?に

ーー10コマ
五蔵□才の折より此品?か?そ?て見へざるよしその後(のち)二度(と)放火(ほうくわ)し三度目家(いへ)も五蔵も焼亡(やきほろぼ)しぬそれにて狸の生国(せうこく)何か荒(あら)あらしれ?し?た?事?ありこれによつて狸化(ばけ)ものかりせん多勢(たせい)あつまり夜半(よなか)すきまでも立入さまさまさがし求(もとむ)るといへどもその夜(よ)八つ時まではいさゝかもしるしなし七つ時より暁(あかつき)頃(ごろ)にいたり事?わづか二時ばかりにおひたゝしきしめ縄(なわ)を黒喰山にひき渡(わた)せりかゝる大そうなること神力(しんりき)ならではとゝのひがたきをお?し?のし?ま?にキウモウが一手にてなせし事ふしきといふもおろか也をのをのこれにおそれをなしその御(ご)ちんざの所に摩利支天(まりしてん)の社(やしろ)のありしかば此かたはらに魔法宮(まほうぐう)と崇(あか)め奉りぬしかゝ?といへども御縁日(ゑんにち)をいつとも定(さだ)めがたければまりし天の御ゑん日を御まつり日として牛馬を引(ひき)参(さん)けい群衆(ぐんじゆ)をなせり就中(なかんづく)八月□四日は本御祭礼(さいれい)なり神事(じんじ)規式(きしき)□□□角力(すもふ)など取(と)りて賑(にぎは)ひぬ夜(よる)は諸所(しよしよ)より花火(はなび)を持参(ぢさん)してさまさまの上手(ぜうず)をあらはすも?はんぜういはんかたなしかくて神社と崇奉るよりいさゝかも災変?(わさはひ)なし実(まこと)に火難盗難のふせぎ牛馬の守護神(しゆごじん)となり給?(たま)ふいかなる牛馬の病何事にても心かゝりのことあるに一心に祈誓(きせい)をこむれば利益(りやく)たちまちなりあるとき□里(ゆう?り)の青□(あげや)にとしころ二十斗?と見えし美男(びなん)一人来りわれはもと備前の者なるかいまは備中備後に住し鉄山(てつざん)の元仕入をいたすもの也

ーー11コマ
わけありて姓名(せいめい)は申さす今は頬(ほう)四郎といふしのびてこのところへ来るなればか□し後?へといふてひそかに亭主(ていしゆ)に金子(かね)百両を預(あづ)けければ亭主大によろこび家人(うちのもの)に告(いゝつけ)てさまざまにもてなしぬこの夜?と?こは□夕よりげい子まひ子あまたまねき遊君(ゆうくん)を惣(そう)あげし俗(ぞく)にいろつけなどといふことをして酒宴遊興(しゆえんゆうけう)さ?な?し?也頬四郎いふやう色(いろ)付とはいひながらわれこの度は大願(ぐわん)あり事?讃州(さんしう)金毘羅宮(こんひらぐう)へ参詣(さんけい)せり往還(ゆきもどり)打?日の間精進潔斎(せうしんけつさひ)の祈誓あれば女に肌(はた)ふれることかなはず宴会(さかもり)しめてたく?盃(さかづき)をしてわが妻(つま)ともさだむべしとまことしやかにいひければ遊女もかたじけなしと礼謝(れいしや)して大によろこひぬげい子まひ子祝?義?(しうぎ)として金子をとらせければおのおのころこびあへり亭主も算用(さんよう)の外□分(くれ?ぶん)に金子を□し七日めnあさいとまを告(つげ)篭(かご)に打のり帰?(かへ)るに亭主見立(みたて)て一里ばかり出ければ頬四郎いふもはやしんるひのかたもほどちかければ我?(わが)あそひのこともあらはれまじきにもあらずいづれもこれより帰られよとて酒代(さかて)とも□しければ送(おくり)り来(き)し人々ありがたくおも□何とぞ又はやく□□あれかしといへば頬四郎また来りて世話(せわ)にならんとねんころにいとまを?してわかれけり[車喬]夫(かごかき)ともいそぎ帰りもらひたるつゝみをむ?ら?き?見るにかねにはあらず亭主も□□し金子銀札など□しみるにいづれも小石木のはなりければ打おとろくばかりなりこれや加茂(かも)の狸にぞありけると?後?にてみなくやみけり深(ふか)きなじみの妓女(げいこ)はこれを気病(きやみ)にしてひさしくわずらひけり此頬四郎はかの黒喰の銅山の穴にて生れしキウモウが一子(妻むじなの産し子なり)親(おや)に似(に)て火(ひ)のわざはいをなすこと得手(えて)にして方々に放火(はうくわ)せしこと数(かず)しれずあるとき加茂郷なる細田(ほそた)むらの農家(のうか)を?そ?軒?(けん)を焼(やか)んとて其?者?の□日々(ひゞ)夜々?(やし?やや?)家(や)の棟(むね)に火をとほし□は軒場?(のきば)より火を出ししかば人みなおそれをなせり打?四日の□昼夜(ちうや)となく諸々?(しよしよ)の神社(やしろ)へ祈願(きぐわん)あるひは僧徒(そうと)をして盤若経(はんにやけう)を読誦(どくじゆ)せしめ門外(もんくわい)には水桶(みづおけ)かずかずいだし家財(かざい)は土蔵(どぞう)に入家をは打あけて□□や火災(くわさい)あらむといひしが終(つい)にやけずもはや祈願成就(しやうじゆ)して心つかひなしとて打?五日めの朝より家財を?家(いへ)に持?かへり水桶もうちあけて安堵(あんど)の思ひをなしけるがその日のゆふくれかた四方八方より焼(やけ)いだし隣家(りんか)より驅(かけ)ゆく間(ま)もなくつひにやけうせ?ぬこの時さと人おそれをなして近(ちかき)わたりのむらまでも心をあはせて同村明現山(めうげんさん)の嶺(みね)に小社(ほこら)をたて摩王宮(まわうくう)と斎□ふりて火災の守護神(しゆごじん)とあがめければ二所にちん坐(ざ)し給ふ二社ともに第?一?不浄(ふじやう)貪慾(とんよく)不忠(ふちう)不幸(ふこう)すべて心けかれたる日と参けいしていく度いのるといへともさらにしるしなしあるひは富(とみ)足(た)れる人にてもいさゝか我意?(がい)ある人には藝子(けいこ)あそびいろくるひ音曲(おんきよく)盤?将?(ばんせう)それそれのすゝめをなし又高利(かうり)の金銀(きんぎん)をかりてつかひ借(しやく)銀負ひつゝあそふもの酒食(しゆしよく)にふけ

ーー13コマ
るものいつれも狸の張?嚢?(きんたま)の皮(かは)をうちかぶせ目(め)も見え?されば西もひがしもさらにわからず又まよはしぬ又頬四郎の子三疋あり頬赤介(ほうあかすけ)背(せ)四郎四ツ四郎といふ頬垢介は加茂郷水谷(みつたに)□(□□)日のうら山に住し人にもあれ牛馬にもあれ通行(つうこう)のおのをわずらわしめいろいろの悪行(あくぎやう)をなし化(ばけ)出(いづ)ることたびたびなりければ人々これをうれひぬ同郷上田村太郎兵衛野原村蔵?平?神□村義介喜一ともにちからを合せ遠近(おちこち)人のたすけをかりて地蔵尊(ちぞうそん)をこんりうし円城寺(えんじやうじ)一山の僧徒を□□(せうせう)し□供養修業(くようしゆげやう)せしかばその後(のち)通行の旅(たび)人牛馬にいたる迄この谷すじにおひて?無難(ふなん)になりぬ次(つぎ)に背(せ)四郎は和田(わだ)村宗林寺(そうりんじ)の山に住(すみ)ぬこの里(さと)近来(ちかごろ)放火(はうくわ)おびたゝしいかほど祈念(きねん)をつくすといへとも火災(くわさひ)やむことなし村人のはからひにて加茂郷四十ヶ村の男女(なんによ)こゝろざしを同く同村天王宮(てんわうぐう)の御やしろにおひて七日の間(あひた)社司(しやし)をたのみ一万度(いちまんど)の祓(はらひ)をよみ丹誠(たんせい)をぬきんでしめこの□に崇(あがめ)まつりしかば火災(くわさひ)たちまちやみてこれも守護神(しゆごじん)となれりさて四ツ四郎は作□(さくし?□)通(かひ)谷の清水(しみづ)谷に住居して貪(とん)よく邪神(じやしん)のものあれば悪行(あくげう)をすゝめ西川(にしかは)の銀札など方々へかけ廻(まわ)り悪評(あくひやう)申?ふか?し?人々□(りやく)かへせよとすゝめ病(べう)人をこしらへ同国(とうこく)上の口村などにてはおびたゝしく人を縊(くび)れ死せ?しめ悪事(あくじ)のみをしけり家(いへ)とめるものも二三手のうちに貧困(ひんこん)せしむ

ーー14コマ
みな四ツ四郎がなさるわざいと□なりあるときに同国通谷の病者(べうしや)のかたより同国木山(きやま)牛頭天王(ごづてんわう)に一心に祈誓をこめければ天王の末社(まつしや)善覚明神(せんかくめうじん)の使(つかは)しめをり?し病人□はしわけるは官位(くらい)高き神主(かんぬし)に祈祷(きとう)蟇目を行(おこなは)しめ妖物(はけもの)退治(たいぢ)すべしとつげ給へば目(め)覚(さ)めてそのよしをかたりやかて同国(どうこく)上山近津(ちかつ)野の社司(しやし)大久保(おほくほ)陸奥守(むつのかみ)を招待?(せうだい)しいのらしむ祈祷(きとう)満坐(まんざ)に及(およ)び蟇目(ひきめ)の術(しゆつ)をおこなひければ忽(たちまち)四ツ四郎は退治せり右二匹の狸の子孫(子孫)山々谷々に同穴(あな)を掘(ほり)かくれすむといへとも大なる悪事(あくじ)もなさずよくおさまりしもむべなるかなさても前(まへ)に記?(しる)せし五蔵が家(いへ)にわすれ置たる唐(とう)うちはの書附(かきつけ)予(よ)か祖父(ぢい)あらましみへ?しとるといへども放火(ほうくわ)などの後(こう)なnをおそれ長(なが)くかくし置(おき)たりしがいまは尊(とうと)く守護神(しゆごしん)にたち給ふうへは御威光(ごゐくわう)を縁起(ゑんき)御由来(ゆらい)上木(ぜうぼく)して世上(せじやう)に披露(ひろう)なさしめ廣(ひろ)く傳(つた)へてものかたりのはしら?もなさば人みなおそれうやまはさ?らんや其(その)化生(けそう)といふ事も九年(くねん)の間一峯(ひとみね)に住不思議(ふしぎ)をあらはし其峯(そのみね)に直(すぐ)さま守護神とあがめ万人の敬(うやま)ひ尊(たつと)む事日々(ひゝ)にあらたにましますがゆへ也かゝるたぐひは世にふたつとなきためなれば日本一と誌?(しる)せしも豈(あに)誤(あやまり)といふべけんや人々はやし信(しん)じ給ひてその理益(りやく)を蒙(かうむ)り給はんことを希(こひねが)ふのみそのはじめは悪事(あくじ)も多(おほ)き狸なりといへともやゝとしを経?(ふ)るにしたがひ善道(ぜんとう)に入(いり)高(たか)き威徳(いとく)備(そなは)り給ひしこれそ穴□(あな□して?)

嘉永二己酉年孟冬上旬發兌

備前岡山京橋西詰川手半町下ル舩着町角
彫工・摺立 琢玉堂玉舎恵吉


====この下はちょっとだけ手をつけた翻訳======
(逐語訳じゃないです。物語として読みやすいようにしてあります。あとなんじゃこりゃみたいなのを適当にあしらってます)

 備前国加茂郷上田村黒喰というところの山上に鎮座まします魔法宮と申しますのは、火付け盗賊を防ぎ、牛馬の守り神でもあり、病であれ癖であれ願いをかければ霊験あらたかなのは、世の人の知るところであります。毎月四日十日二十日を祭日として参詣の人々がにぎわいます。

 そもそもこの神の由来をたずねれば、狸という獣の姿であり、今はもう昔の事ではありますが、人皇百七代正親町帝の御代、永禄十一年に南蛮国の王で合甚尾大王[誰?]という者が悪逆をくわだてて日本へバテレンを差し向けた時に、海を渡る船に隠れ忍んで来朝したのです。

 この狸、もともと神国にあこがれての渡海ですから、船が着くとすぐに泉州堺の住吉大明神までやって来て、そのあまりの尊さにこの地に数日逗留しました。

 その年の八月二十四日の事、住吉様のお社がしばらく振動し、社の前の松の木が六十六本も抜けてしまいました。そのため神主である摂津守三位豊国が内裏へ申し上げるには
「これは、南蛮国より悪逆をくわだててこの国にバテレンを差し向けた事を、六十六国へ知らせよという意味です。そのほか大神宮春日大明神、八幡宮のご神威を仰ぎ、早く巡拝せよとのお告げでございます」
と言うので、帝も慌てて伊勢参宮におもむかねばと思い立つのですが、牛車の牛の難業を見て、この牛の難を救ってやろうとお考えになりました。[なぜw]

 狸は、この地に何年も留まるうちに、牛の参宮という前代未聞の事があると聞きました。見れば牛は背中にふたつの柳ごおりをつけているので、狸のキュウモウは、この牛の背に乗って行こうと考えて、柳ごおりの間に飛び乗り、備中国砦部村に着きました。

 このあたりにある湯殿山には大きな岩窟があるので、狸はそこに住む事にしました。しかしこのあたりには牝狸がおらず、仕方ないので狢にまじって暮らすようになり、やがて牝狢はキュウモウの子供を産みました。

 ところで、キュウモウには彼を慕う牝狸がいて、キュウモウを訪ねて備中砦部村にやってきました。そこで彼女は「備中砦部村独身なつ」と名乗り、通行手形を手に入れます。途中で病気と称して篭に乗り、とうとう備前加茂市場のまでやって来ます。そこでしばし休憩をしていると、この地には鹿狩りの名犬がおり、なつを見るとひと咬みにします。なつは狸の姿をあらわし絶命するのでした。それから、この町にはたびたび放火がありました。

 元文六年の頃に、備前加茂里の黒喰の高味山に銅山が始まり、銅を掘る人夫が大勢集まって来たので、大変な賑わいになりました。キュウモウ狸も金の虜になり、茶屋にて遊女に狂い、やがて気もおかしくなったということですが、まもなく銅山の賑わいも終わってしまったので、その穴にこもって何年も暮らしました。

 暦は宝暦から明和となり九年のある夜、狸は牛につける鍬の古いものを鉦(かね)のかわりにして打ち叩き、サニヤンサニヤンと言いながら山の峯で遊ぶようになりました。里人はいぶかしく思いましたが、やがてそれが狸の仕業だとわかりました。狸は人に化け、人家におとずれ、ある事ない事いいふらして歩くきました。

 これにより里人は犬をつれ、鉄砲や刀などを持って狸を狩ろうとするのですが、

(途中までです。ここまではちょっと真面目にやってみた。この先は狸狩りが延々続いたりする、ちょっと退屈。キュウモウは放火をし、人を化かす悪い狸になってしまうのですが、最終的には心を改めて人や牛馬を守る神様になります。キュウモウには狢に産ませた子供がいますが、彼らもまた悪い狸でしたが、やはり最終的には心を入れ替えて神になったようです)

追記:古文も翻訳もおかしい部分がけっこうあるんですが、未校正ってタイトルにも書いてあるし、4時間くらいでやっつけた仕事なのでほっときます。


追記 2019.09.25.

 その後、何度か読み直してみなさんにお教えいただいたりもして、ちょっとグレードが高まりましたので、AmazonにてKindle用の電子書籍として売り出しました。日本円だと320円くらい(ドル相場で変動するので円高の時に買うとお得)。Unlimited に加入してる人だと追加料金なしでダウンロードできるはずです、たぶん。正直言うと、Amazon難しくてよくわからないんだよ……

 なお、自分の本なのに、自分の端末にダウンロードするにはお金を払わなければなりません(Amazonにピンハネされて戻って来ますが)。ほぼ売れないのにお金を払うのは馬鹿みたいなのでアップロード時に見られるプレビューしか確認しておりません。Amazonほんとにめんどくさい。意味わかんない。

 Twitterで公開してたキャプチャ画像にくらべてかなり見劣りすると思いますけど、Amazon側が日本語PDFに対応してないのでこれ以上どうにもならないです。文字が小さい場合は Kindle の機能で大きさをかえられるはずです……タブン

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珍獣ららむ〜 の紹介

特技はおりがみとお蚕の飼育と世の中の役にたたないこと全般です。養蚕が普通の仕事だったらニートでヒキコモリの体質から脱出できそうな悪寒がします。DQ10はほぼ引退しました…だってストーリーが完全にソロゲーなんだもの。/ちなみにわたしが珍獣を名乗っているのは1999年からで、イモトよりも古いです。ワンピースは知らん。イモトですねって聞かれるとあっちがマネだと答えたくなる。 twitter などでは chinjuh です。

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