草双紙に出てくる桃太郎についての記述を集めました。草双紙は江戸時代の絵本のようなものです。必ずしも子供向けではなく、大人の読み物もあり、ふんだんな挿し絵に少しの文章。楽しみで読む軽めの小説なので、現代の漫画に近いものだと思います。色のついた表紙がついてる事が多いとのことで、黄表紙とか青表紙なんて呼ばれていたりまします。
いやはや、ブログ放置しすぎですね。昔からの人だと、twitterなどかえって面倒なのでやる気があるならブログを更新しろとおっしゃりそうなんですが、もはや世の中の動きははげしく、誰も彼もがスマホスマホと、昔のようなコンテンツが好まれなかったりもしますし、もうプロが作った小奇麗なコンテンツばかりになり、自分のサイトをあえて盛りたてる意味を感じなくなりつつありまして、なんとなく放置しています。
ところで今回は草双紙における桃太郎についての記述を、見つけ次第拾ってみようかと思って記事を立てました。桃太郎、誰でも知ってますね。お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行くと、大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこと流れてきて……というやつ。
近年いろんなメディアで「あれは不老不死の薬としての桃の効果を説明する物語で、老夫婦が桃を食べて若返り、まぐわうことで子をもうけたのだ」と説明されています。
そんなことを頭におきつつ草双紙をいくつか読んでみたら、桃太郎の出てくる話が二、三みつかりまして、これは見つけ次第書き出しておいたほうがいいな、と思った次第。
まあ、難しいことはさておき、原典を読めるサイトへのリンクも並記しつつ書き出しておきます。見つけ次第追加するかもしれません。
『桃太郎元服姿』
ももたろうげんぷくすがたhttps://honkoku.org/app/#/transcription/292502BA99E02402D17654F7F0505E2D/1/
昔話の桃太郎のその後の話で、鬼ケ島から桃太郎一行が帰ってくる。それを出迎えるお爺さんお婆さん(老父母)は若返っている。その後、桃太郎は元服し、父母と妻のお梅とともに平穏に暮らすが、父母はまた歳を取ってしまう。もう一度桃を拾いましょう、そうすれば若返る、という桃太郎の申し出に、江戸の暮らしは楽なのでそれには及ばないと断る老父母。ラストでは桃太郎の桃を誰が流したか言及され、「山王の猿」「東方朔」「西王母」などが列挙される。
# 昔話の桃太郎を思い浮かべてください。前髪がありますよね。あれは童子の髪形なので、鬼ケ島に行った桃太郎はまだ子供なんです。この話は鬼ケ島から帰り、前髪を剃って成人した(元服した)物語で、お梅というお嫁さんも出てきます。
もゝがながれてきてわかくなりたん
じやうせしがさんのふのさるがながせしか
又はとふぼうさくのもゝかぼんぶなれは
それはしれずせいおうぼうでもおとしたか
して今
にわかく
ふうきに
くらしいける
なり
【桃が流れて来て若くなり誕生せしが山王の猿が流せしか。又は東方朔の桃か。凡夫なればそれは知れず。西王母でも落としたかして今に若く富貴に暮らし居けるなり。】
『化物箱根先』
ばけものはこねのさきhttps://honkoku.org/app/#/transcription/D38C18AAAA6651E81E65D5BDF69F7A7B/1/
人間が化物を恐がらなくなったので、新しい化け方を研究しようと草双紙を買い集めて読んだり、芝居見物をするなどして猛勉強。しかし、人間のほうが一枚上手でかえって自信をなくし、化物たちは狐を残し江戸から去って行くという話。江戸に残った狐たちはなんとか人間に対抗しようと、人間のうち化ける者たちの親玉に会いに行く。人間の代表として浦島太郎と桃太郎の親があがっている。浦島は八千歳生きたから、桃太郎の親は若返ったから化物であるとされている。
うらしまは八千さいまで# 浦島太郎が八千歳生きたという記述も聞き捨てならない感じがしますが、別の若返りの話でも八千年のような記述を見たことがあるので、文字通り八千歳生きたということではないと思います。
いきのびたるによりとし
のよりしものをばけそふ
だと
いふ
は
此事
もゝ太郎が
おやふた
たび
わかく
なりし
ゆへ是も
ばけもの
なり
【浦島は八千歳まで生きのびたるに歳のよりし者を化けそふだといふは此事。桃太郎が親、再び若くなりしゆへ是も化物なり。】
『日待御利生此ごろ噂』
ひまちごりしょうこのごろうわさhttps://honkoku.org/app/#/transcription/1B701351B071CCF5FF096FEAEC8A404A/1/
幸之進という年老いた浪人の夢枕に桃太郎が立ち若返りの子細を語る。昔話にあるようにお爺さんは柴刈りにお婆さんは川へ洗濯に行き桃を拾うが、二人はこの桃を食べて若返ったと言う。桃は庚申のお遣いである猿が流したものであるから、庚申を信仰すれば若返る、というのである。幸之進は庚申待ちをし、翌朝顔を洗おうとして自分が若返っていることに気づく。隣に住む若者・与兵衛は馬鹿にして早寝してしまったため、逆に年老いてしまう。
ところで、川から流れてきた桃は、お爺さんお婆さん(老父母)が食べてしまったが、桃太郎はどこから生まれたかというと、これははっきり書かれておらず「もゝ太郎がもゝよりおこりし事ゆへ」という記述があるのみ。これだけならば若返った父母が産んだとも考えられる。
ただし、桃太郎の帰還後、生活に困らなくなった父母は江戸に移り住み、日々のなぐさめとして桃の盆栽を育てている。やがて孫が生まれるが、「もゝ太郎はふうふなかよくみばゑのもゝ太郎をもふけ」とあり、みばゑが実生であるなら、やはり桃から生まれたということになるだろう。桃から生まれた設定がないわけではなさそうである。
タイトルに日待利生とある通り、日待ち信仰をすすめる話になっている。庚申待ちのほか、大黒天の甲子待ち、弁財天の巳待ちが出てくる。
むかししゞは山へしばかりにばゞは川へせんたくにゆきしときもゝ
なかれきたりそのもゝをふうふくひけれはたちまちわかくなり
けるもとこのもゝはかふしんのつかわしめさる
のおとしたるもゝなりよつてかふしんを
しんじんせばたちまちわかく
なるべしとつげにまかせて
かうしんまちを
はじめける
【昔、爺は山へ柴刈りに婆は川へ洗濯に行きし時、桃流れ来りその桃を夫婦食ひければたちまち若くなりける。元この桃は庚申の遣わしめ猿の落としたる桃なり。よって庚申を信心せばたちまち若くなるべしと、告げにまかせて庚申待ちを始めける。】
『親動性桃太郎』
おやどうしようももたろうhttps://honkoku.org/app/#/transcription/A98D1F10210FB602A378C23139641937/1/
鬼ケ島から帰った桃太郎はお柿という女と所帯を持っている。鬼の宝によりお金には困っていないようだが、桃太郎は山へ柴刈りに、お柿は川へ洗濯にといった昔ながらの生活。ある日、お柿が洗濯中に川で梅干しを拾う。種を割ってみると仲から見知らぬジジイが出てくる。二人はこのジジイをわが子のようにかわいがり、欲しがるものをなんでも買い与えて育てる。
あらゆる道楽に飽きたジジイは旅に出たいと言う。桃太郎は自分がそうだったように鬼ケ島へ行くのだと思い、思いのままに旅支度をしてやるのだった。しかしジジイが向かった先は鬼ケ島ではなく……?!
ラスト近くでジジイではなく桃太郎の父母が現れ、桃太郎が桃の種から生まれたことを語るシーンがある。やはり桃太郎は桃から生まれたのである。
なおタイトルの親動性は「おやどうしよう」と読むらしい。
この話にはいくつかの昔話がちりばめられている点でも興味深い。ジジイが狆を買ってくると、桃太郎は「昔の親父なら犬が転んだあとに金が出る」と言って狆を転ばせる。現在あまり耳にしない話だが、おそらく花咲か爺の「ここ掘れワンワン」のたぐいだと考えられる。また、ジジイが茶の湯にこって茶臼を買ってくると、桃太郎は石臼から宝が出る話を持ち出して回してみようと言う。これは現在でもよく聞く『塩吹き臼』の話だろうか。ジジイが犬・猿・雉に与える団子を惜しんで鼻紙を渡しながら「花咲か爺だ」と言うシーンもある。
なんじもゝの たねよりしゆつ
せうしいまうとく
にくらす事もこれ
ひとへにわれ〳〵が
まもるゆへなり
【汝、桃の種より出生し、今有徳に暮らす事もこれ一重にわれ〳〵が守るゆえなり。】
以下もし見つかれば追加予定
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