ただの地蔵ではなくて、六地蔵に注目しています。とりあえず歩いて家のまわりとか、良く通る場所なんかのを見てまわっています。六地蔵調査の一覧は>こちら
八潮市の大瀬は中川を挟んで両岸にあるんですが、潮止橋の南詰め近くというか、獅子舞をやる氷川神社の近くにある墓地の六地蔵です。
▲あきらかに六地蔵のつもりで並べてあるんですが、どうもいくつかのシリーズ(シリーズって言うなw)から壊れずに残ったものを組み合わせて作ってあるみたいなんですよね。そのわりに持物がかぶらないようになってるのが謎なんですけど。
▲いつもは造立年の刻まれたものなどを一体だけイラストにしてるんですが、今回は全部頑張りました。写真貼れよって話もありますが(笑)もちろん一体一体別に写した写真も用意はしてあるのですが、全部貼るとくどいかなあと思いまして。見たいという要望があれば貼りますが。
▲種字だけ抜き書きしました(しつこい)。梵字書くの好きなんですよねー。卒塔婆を書くアルバイトをしたいくらい好きですねー。今どきはプリンターがあるので珍獣の手では仕事にならんでしょうけど(笑)#よく見たら、1と4ではなく2と4が同じ文字ですね。テキトーですみません。
向かって左から 【1】黒っぽい石。蓮台が四角い。 「同行九十二人」「奉造立六地蔵尊講中」 種字はイー、持物は竿に幢幡と宝蓋の両方がついている。 【2】黒っぽい石。蓮台が四角い。1と似てるが施主が違う。 造立年「宝永七庚寅年十月十五日」「奉造立庚申供養講中廿二人」 蓮台の向かって右に「敬白」 種字はハ、持物は右錫杖・左宝珠。 (1710年) 【3】やや白い石で蓮台が丸く出っ張り1・2と異なる。 石質や形式が異なるにもかかわらず講名が1と同じ。 「同行九十二人」「奉造立六地蔵尊講中」 種字はイ、持物は柄香炉(欠けている) 【4】やや白い石で蓮台が丸く出っ張る。3と似るがややきれい。 「同行九十二人」「奉造立六地蔵尊講中」 種字はハ、持物は宝蓋。 【5】やや白い石で蓮台が丸く出っ張る。 3・4と似るがややすり減っており、顔立ちも少し違う。 「同行九十二人」「奉造立六地蔵尊講中」 種字はホー、持物は曲がった棒の先に逆さのハート型。蓮華? # あとでわかったんですが、柄の短い錫杖だと思います。 【6】ほかの地蔵よりやや小さく、少し茶っぽい石。欠けが目立つ。 「享保十一丙午十月吉日安楽」「奉造立千度参為二世」 種字は欠け落ちている。持物はなく合掌している。 (1726年)
3・4・5は同じシリーズの六地蔵っぽいですが4だけ少し新しく見えなくもない。2・6は完全に別の目的で作られたものです。1は3・4・5と造立した講の名前は同じですけど、蓮台の形や石質が違って見えるので別のシリーズかもしれない……と、複雑な構成の六地蔵でした!
なお、この六体以外にも後ろに沢山石仏が写ってますが、そのうちのいくつかは地蔵だったのですが、「○○童子霊」のような文字が刻まれているので六地蔵ではなく幼い子供の供養のために作ったものだと考えられます。
所在地 八潮市大瀬、氷川神社近くの墓地
造立年 宝永七年(1710年)、享保十年(1726年)などの混成
講名等 同行九十二人、奉造立六地蔵尊講中、奉造立庚申供養講中廿二人など
▲持物の名前がよくわからない4番です。錫杖のような気もするんですが、それにしては柄が曲がってて、両手で持ってるのがちょっと不自然なので、蓮華かなあと。しかし六地蔵の持物で蓮華はあまりないかもしれないです。 #蓮華ではなく、加持祈祷で使う柄の短い錫杖かもしれません。滋賀県あたりでそういう作例がけっこうあると聞きました。また、蓮華のような植物を持つ作例もまったくないわけじゃなさそうです。
【追記】2023年4月19日
▲合掌している6番(享保十一年のもの)です。すぐ近くの宝光寺の墓地に、享保九年〜十一年に「同行四十九人」という講で作った六地蔵があるんですが、うち1体が元禄時代の別のものに置き換えられてるようなので、ひょっとするとこれが正しいソレなのかも……?>宝光寺墓地の六地蔵はこちら
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