宝光寺は潮止橋の東詰め近く、土手沿いにあるお寺です。このお寺には六地蔵がふたつあるんですが、今回は門前の明治時代のものです。ポケモンGOのポケストップでは七地蔵という名前を付けられています。
たしかに七体あるんですが、まわりの六体は明治五年のもので、真ん中の大きいのは享保十年造立の別のものなので、七地蔵として作られたわけではありません。
造立年は左から4番目の地蔵に刻まれていました。明治五年八月は、ギリギリで改暦前ですね。明治五年は十二月二日までしかなくて、次の日から太陽暦に改暦して明治6年1月1日です。
1番の地蔵の頭の上に、ハとおぼしき文字の一部が見えるので、作られた当初はすべての地蔵に種字が刻まれていたかもしれませんが、今は欠けたりしてほとんど見えなくなっています。
▲これは左から2番目の地蔵です。江戸時代の地蔵にくらべると細面で、ちょっとだけ写実というか、どこかで見た事があるような顔立ちですね。
▲これは左から3番目の衣です。ひだの表現が丁寧。お地蔵様はだいたい熱心な信者さんがよだれかけをしてくれるので、めくって写真をとらないといけないので顔も一緒に写らないのが悩み所です。
所在地 八潮市大瀬・宝光寺の門前
造立年 明治五年八月(真ん中のものは享保十乙巳年七月廿四日造立)
種字 かつてはあったようだが欠けてしまっている
持物 イラスト参照
【おまけ】
注目したいのは六地蔵なので、真ん中の一体はスルーしようかと思ったのですが、せっかくなので台座に何が書いてあるか読んでみました。
▲台座正面。造立年は向かって右面に年、左面に月日が書いてありました。以下は正面の文字を書き起こしたものです。
武州八條領大瀬村 奉納大■妙典 六十六郶供養佛 辨天堂願主道隋
■は佘に似た字が書かれていて、読めなかったのでtwitterで聞いたら「大”乗”妙典(法華経のこと)でしょうが、それを地蔵に奉納するのもあれって感じですね」と教えてもらいました。宝光寺も真言宗なので、ちょっと不思議な感じはするのですが、四行目に「弁天堂願主道隋」とあるので、別のところにあったものをここに移したのかもしれないです。
三行目の「郶」は、もしかすると見えないパソコンもあるかも知れないですが、倍のつくり+邑で、村と同じ意味らしいです。
以上、おまけでした。
【おまけの追記】
そういえば 氷川神社近くの墓地にある六地蔵 の2番目も地蔵なのに庚申供養と書かれていて、あれっ?という感じです。庚申塔なら青面金剛を彫ったものが多いですね。ちなみに、その墓地と宝光寺はすぐ近くです。現在は繋がってはいないんですが、寺のほうが川の工事で少し移動したらしいので、もとは宝光寺の境内にあったかもしれないです。
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