久しぶりに六地蔵調べです。家のまわりや良く通る場所、たまたま行った所などで六地蔵を調べています。記録してるのは造立年、持物、種字、各地蔵に名前がついているか、などです。六地蔵調査の一覧は六地蔵調査の一覧は>こちら
あまりに久しぶりすぎて自前で置いてるブログなのに更新の仕方を忘れてたりするんですが、写真の整理もかねて少しやろうと思います。あまり手をかけられないのでイラスト等は省略します。主に造立年と、一体ずつに名前がついてる例に注目していく予定です。
▲向かって左からA〜Fとします。よだれかけをめくってみなかったので持物のわからないお地蔵さんもいますが、わかる範囲で記録します。□は何か刻まれているものの不明瞭だった部分。
A 持物:(たぶん宝蓋)
向かって左面:天明□□/右面:二月□□
画像クリックで大きめの写真が表示される、と思います。
B 持物:柄香炉
D 持物:錫杖と宝珠
これは何問です。宝の文字は確実に読めるんですが、二文字目が消えているのか簡略化されている書体なのか読めないです。しかし、江戸時代の元号で「宝」がつくのは、延宝、宝永、宝暦だけ。宝は一文字目なので、宝永か宝暦だと思うんです。
十○年と読めるのもポイントです。宝永は八年まです。また、AとCの像には天明とあるので、それと近い年代ならば「宝暦」となります。
しかし、宝暦も十四年までしかないんですよね。石に刻まれた文字は、もともとの凹凸で違う文字に見えてしまったりするので、十五年が間違いで、十三とか十二と書いてあるのかなあと思ったりするんですが、ここらへんはよくわかりません。別の日に見に行くと、光の加減でもっと明瞭に見える場合もあります。
F 持物:不明
この六地蔵は「天明」に作られたものと「宝暦」に作られたものが混在しているようです。
・一度に作らず作り足して完成させた? ・一部破損したものを後年作り直した? ・二組以上の破損の激しい六地蔵を後の時代にニコイチした?
ということが考えられますね。
ちなみに 宝暦:1751年〜1764年/天明:1781年〜1789年 です。
以下は六地蔵から話題が離れますが、こちらは武蔵国三十三所という観音霊場巡りの二十二番札所にもなっていました。
▲本堂の軒下にかかげられている御詠歌の扁額。武蔵国三十三所という観音霊場のもの。
武蔵国三十三所 第二十二番明王山蓮台寺 正観世音 御詠歌 めぐりきて またこのさとに をうそねや だいじだいひの ちかひなるらん 昭和二十八年十一月 願主 須賀留五郎 小倉健三 小倉丑松 小倉米八
弘法大師霊場は葛飾区・江戸川区を中心にさんざん回ったのでさまざま事情を覚えたんですが、観音霊場は勉強不足でよくわかんないことだらけです。こちらの御詠歌は「をうそね(大曽根)」とお寺の所在地が読み込まれているので、このお寺オリジナルの御詠歌っぽいですね?
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