江戸川八十八ヶ所の49番 流山市長崎・金乗院

IMG_3878s 江戸川八十八ヶ所のうち、49番の金乗院の写真です。最後のほうに変わった形の庚申塔と享保年間の六地蔵も貼っておきます。

◎江戸川八十八ヶ所のうち三郷市内の札所めぐり
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20200925p8437

◎江戸川八十八ヶ所めぐり流鉄沿線をいくつか
http://www.chinjuh.mydns.jp/wp/20200929p8492

 上記2件の記事に関連して、流山市長崎っていうところにある金乗院に行ってきました。行ったのはかなり前で、ツイートもしてそのまま放ってしまったんですが、いちおう写真があるのでアップしておきます(いつのまにか神社仏閣一色になっていくわたしのブログ…しかも普段放置だし)。

 流山市といっても、位置的には柏市の豊四季というところに近いんです。柏市にちょっと用事があって出かけた時に足を伸ばしてみました。

IMG_3873s ▲金乗院(こんじょういん)門前

IMG_3875s ▲金乗院の解説:「江戸時代初期創建の真言宗の寺院。山号は天星山(てんしょうざん)。本尊は不動明王。境内には、青面金剛が刻まれた庚申塔や六地蔵などの石造物がある。」と書いてあります。(49)番と数字がふられており、江戸川八十八ヶ所の札所番号と一致するんですが、たぶん偶然でなんの関係もないと思います。

IMG_3877s ▲本堂前にある大師堂。

IMG_3878s ▲堂内の様子。石の大師像があり、台座の表面には「光明真言/講中/長崎村」と刻まれています。

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▲台座の向かって右脇。造立年を調べるために、台座の脇に手が入る場合はスマホを差し込んでシャッターを切ってみることにしています。

IMG_3881bs ▲見やすいように画像処理して歪みをとりました。「安政五年午三月日」と書かれているようです。安政五年は1858年です。三月日は「みかづき」ではなくて、「三月某日」の意味だと思います。何日とはっきり書かない場合「○月日」とか「○月吉日」と書くことがあるようです。

 江戸川八十八ヶ所は昭和9年に造られた比較的新しい霊場巡りです。金乗院のお大師様はそれ以前に何かの目的(別の霊場巡りとか)で造られたものを、そのまま江戸川八十八ヶ所の札所としているようです。

 ということは、これまで三郷市や、流山線沿線で見た大師像も、昭和9年以前からあった別の霊場巡りのために造られたものかもしれないです。ひとつひとつ台座の脇まで見られるといいんですが、お堂が施錠されている事も多いですし、壁との間に隙間がない場合もあります。

 念のために書いておきますが、わたしは信仰心が深いかどうかはともかく(ありますよ?)、人様が信仰しているものに対して敬意は持っておりますので、お堂を拝見する時も、ちゃんと礼拝してから拝見してますし、扉をあけたり、ものをどかしたりしたら、もとどおり戻しています。施錠されていなくても壊れそうな扉は無理に開けないことにもしています。

 ところで、こちらの大師堂には「二十一ヶ所 第十二番」の札もありました。これも弘法大師霊場だと思うのですが、わたしはこのへんのお寺をほとんど知らないので、ここでしか見た事がないし、全貌もわかりません。また知らない霊場巡りを発見してしまったわけですが、ここは家から遠いので追求できそうもないですねー。

IMG_3879s ▲二十一ヶ所 第十二番の札

 それと、堂内をもう一度見てください。向かって左の壁際に御詠歌の扁額っぽいものがあるんですよ。すごく見たい、見たいんですけど、この時は気付いていなくて…いや気付いていても無断で引っ張り出していいかどうかで悩んで結局見ないかもしれないんですが、御詠歌が書いてあるとしたら何番のものなのか激しく気になります。

IMG_3878s ▲御詠歌の扁額っぽいものがある…!

 江戸川八十八ヶ所の扁額ならば49番の「ぢうあくの わがみをすてず そのまゝに じやうどのてらへ まいりこそすれ」が書いてあると思うんですが、それ以前の霊場巡りのものだったり、二十一ヶ所のだったら別の歌が書いてあるかもしれないです。なんせ大師像自体は江戸時代のもので、番号は振られていませんから、扁額大事です。文字が書いてあったら掲示しておいてくださるととても有り難いんです(うるうる)。

 というわけで江戸川八十八ヶ所の49番でした。江戸川は、範囲が広く、家からも遠いので、ちょっと全部はまわれないと思います。ただ、柏には今後も何度か行くと思うので、時間が取れたらほかにもいくつか回ってみたいところがあります。


【おまけ1:変わった形の庚申塔】

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IMG_3876bs ▲金乗院の石塔群。向かって左端は庚申塔。

 大師堂にお参りするのが目的だったので現地ではあまり注目もしなかったんですが、写真を見直してちょっとびっくり。向かって左端の石塔は青面金剛と書いてあって庚申塔なんですが、やけに変わった形をしていますね。こんなの余所で見た事ないです。

【おまけ2:六地蔵調査】

 六地蔵調査は家から近いものを主にしてて遠くのものまで手を伸ばさないように心がけてるんですが(きりがないし、わたし専門家じゃないし^-^;)、たまたまお参りしたところにあったらつい見ちゃいますねー。石塔群の隣にあるのは新しい六地蔵なのですが、その先代の六地蔵も残されていました。

IMG_3886s ▲先代の六地蔵

向かって右奥 不明(上半身が欠けている)
その左手前 両手で数珠
その左奥 両手で宝蓋
その左手前 両手で柄のない香炉か鉢
その左奥 すり減っててわからない(頭も欠けている)
その左手前 錫杖と、おそらく宝珠(片手が欠けている)

IMG_3884b ▲手前の右端の台座だと思うんですが、造立年らしきものがあったのでスマホで撮影して、見やすいように向きを直してみました。「享保十七壬子年」と書いてあるようです。1732年のものです。


【追記】「二十一ヶ所 第十二番」の札について 2022.06.06.
 時々コメントしてくださる研究家のOさんに、金乗院の「二十一ヶ所 第十二番」については流山・松戸地域にある二十一ヶ所巡りで、1997年刊行『三郷市史 第七巻』に情報があるという事なので図書館で見てきました。

 『市史』の内容をかいつまんで書くと、
・三郷市南蓮沼の宮田家に『廿壱ヶ所大師参詣控』という文書が伝わっている。
・明治32〜34年に宮田嘉七という人がこの二十一ヶ所+αを回った記録である。
・この文書には霊場巡りの名前そのものは書かれていないらしく『市史』では「宮田嘉七の二十一ヶ所」と呼んでいる。
・嘉七の参詣路にはいくつかの石標(道標である石碑)があることから、江戸時代後期には成立していた事がわかる。
 ・文化六年(1809年)二月造立の「廿一ヶ所十番札所三輪野山神宮寺」
 ・文政元年(1818年)五月造立の「七番札所下花輪西福寺」

 以下は嘉七が参詣した二十一ヶ所のリストで、現在は廃寺となった寺も含まれている。#はブログ筆者のコメント。なお、これらの札所に現在も大師堂などがあるかどうかはブログ筆者は確認していません。
01. 流山市鰭ケ崎 ・東福寺
02. 松戸市横須賀 ・正福寺
03. 松戸市大谷口 ・大勝寺
04. 流山市 木  ・観音寺 # 旧・木村
05. 流山市流山  ・光妙院
06. 流山市流山  ・正覚寺
07. 流山市下花輪 ・西福寺
08. 流山市桐ケ谷 ・西円寺
09. 流山市大畦  ・観音寺 # 大畦=大畔
10. 流山市三輪野山・神宮寺
11. 流山市市野谷 ・円乗寺
12. 流山市長崎  ・金乗院
13. 流山市名都借 ・清滝院
14. 流山市前ケ先 ・宝蔵院
15. 松戸市幸田  ・花厳院 # 華厳寺
16. 流山市芝崎  ・円徳寺
17. 松戸市金杉  ・医王寺
18. 流山市前平井 ・東栄寺
19. 流山市西平井 ・春乗院
20. 流山市思井  ・薬師院
21. 流山市中村  ・長福寺
現江戸川の42. 流山市野々下・春山寺
現江戸川の87. 流山市流山 ・流山寺

 春山寺と流山寺については、嘉七がなぜここも回ったのかは不明です。これら二つの寺は現在知られている江戸川八十八ヶ所の札所です。現・江戸川は昭和9年の開創ですが、その前身になった霊場巡りが文政六年(1823年)にはすでにあり、明治のいつ頃かに廃れていたそうです。

ややこしいので少し整理。 ・現在知られている江戸川八十八ヶ所は昭和9年の開創
・その前身になった八十八ヶ所は文政六年(1823年)にはすでにあった
  ・(27番札所等に石碑あり/ソース:江戸・東京札所事典)
  ・旧・江戸川は明治のころにはもう廃れていた。
・嘉七が参詣した二十一ヶ所は、文化六年(1809年)にはもうあった
  ・(10番札所等に石碑あり/三郷市史)
  ・二十一ヶ所は明治にも参詣者がいた。
・二十一ヶ所は八十八ヶ所より前からあった?←これは疑問
  ・記録がないだけで八十八ヶ所ももっと遡れるのかも?
・流山市長崎・金乗院の大師像は安政五年(1858年)の造立(当ブログ現地調査)
  ・江戸時代ではあるが、かなり新しい。
  ・さらに別の霊場巡り?←あくまで疑問
  ・八十八ヶ所か二十一ヶ所のどちらかが安政五年に再整備されたのでは?
    ・再整備なら明治まで生きていた二十一ヶ所のほうだろうか?

 とにかく「金乗院にある二十一ヶ所の札は、流山市と松戸市にまたがる二十一ヶ所めぐりのもの」「金乗院にある大師像はなんとなく二十一ヶ所のものっぽいけどよくわからない」

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珍獣ららむ〜 の紹介

特技はおりがみとお蚕の飼育と世の中の役にたたないこと全般です。養蚕が普通の仕事だったらニートでヒキコモリの体質から脱出できそうな悪寒がします。DQ10はほぼ引退しました…だってストーリーが完全にソロゲーなんだもの。/ちなみにわたしが珍獣を名乗っているのは1999年からで、イモトよりも古いです。ワンピースは知らん。イモトですねって聞かれるとあっちがマネだと答えたくなる。 twitter などでは chinjuh です。

江戸川八十八ヶ所の49番 流山市長崎・金乗院 への4件のフィードバック

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