養蚕のはじまり |
◆おしらさま 養蚕のはじまりを説明する話で娘が馬と恋仲になってしまうパターン。 その1
その2
その3
◆受難貴人
姫が継母にいじめられていることに気づいた王様は、クワの大木をくりぬいて筒状の船を造って姫を乗せ、海に流した。筒船は日本に流れ着き、親切な老夫婦に拾われた。老夫婦が筒を割ってみると中から美しい姫が現れたので、娘としてお育てすることにした。 ところが姫は病気になり、ぽっくり死んでしまう。老夫婦の夢枕に姫がたち、食べるものをくれという。棺をあけてみると中に白い芋虫がいた。この虫はクワの葉を食べ、姫が死にかけたのと同じ回数だけ死んだように眠り、繭を作った。これが今でいう蚕である。
次に継母は姫を竹やぶに置き去りにした。婆やが探し出してお助けしたが、姫は衰弱して死んだようにぐったりしていた。 三度目はたらいに乗せて川に捨てられた。爺やと婆やが探し出してなんとかお助けしたものの、姫は疲れ切ってぐったりしてしまった。 継母はすっかり怒って、四度目には庭に穴を掘って姫を生き埋めにしてしまった。爺やと婆やが気づいた時にはもう遅く、姫は息絶えていた。 それからしばらくすると、姫が埋められたところに黒く小さな芋虫がはいまわっていた。虫の体には馬のひづめのあとのような斑があった。 クワの葉をあたえて育ててみると、急に死んだように動かなくなり、しばらくするとまた動きだして葉をたべはじめる。そういう事が四度あり、繭を作った。ちょうど姫が継母に殺されかけたのと同じ回数である。姫の一生になぞらえて、最初の休みをシジの休み、二番目の休みをタケ(竹)の休み、三番目の休みをフナ(船)の休み、四番目の休みをニワ(庭)の休みと呼んだ。 今でも群馬では蚕を「お蚕さま(おこさま)」と呼んで大切に飼い、衣笠明神をまつっている。 # 蚕は卵から出たばかりの一例幼虫は、黒っぽくて微毛が生えている。脱皮をして二齢幼虫になると白くなり、背中に馬の蹄状の斑紋が現れる。 # 蚕は脱皮する前に餌を食べずにじっと動かなくなる。その状態を眠(みん)と呼ぶ。蚕はふつう四回の眠をへて繭をつくる。江戸時代にはそれぞれの眠を次のように呼んでいた。 一眠:シジの眠り あるいは 獅子の眠り
「金色姫」「衣笠姫」の物語は、眠の名前をもとに生まれた話である。以下はその対照表である。
一眠と二眠の呼び名にばらつきがあるのは、ひらがな表記に別の漢字をあてたものと考えられる。 シジの意味はハッキリしないが、蚕の一例幼虫に毛が生えていることから獅子を連想して字をあてたものだと想像できる。 また群馬では、竹箒のことを「たかぼうき」と発音することが多い。つまり、竹も鷹も同じ発音をしていた可能性が高い。どちらが原義なのかはわからないが、二齢幼虫から竹の網に移して飼うことから竹が先ではないだろうか。 なぜこのような呼び方をするのかはよくわかっていないが、この話をブログでしたところ、読者のみなさんがさまざまな仮説をたててくださったのでここに紹介する。 ◎新・珍獣様のいろいろ:
他人の息子を死なせた罪を恥じて、王様は姫君をウツボ船に乗せて海に流した。若者の首を抱いて漂流している姫君を海賊が見つけて斬り殺した。ふたりの首は見知らぬ島に捨てられて、美しい繭をつくる虫になった。
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◆こぼれ話◆
蚕の由来譚には二種類あって、ひとつは上に紹介したような馬と娘の異類求婚譚になっている。蚕は蛾の幼虫で芋虫の姿をしているが、鎌首をあげてじっとしている姿が馬の頭に見えなくもない。 もうひとつは、遠い国の姫君がウツボ船で流される話。結果として姫は死に、その墓に見知らぬ虫がわく。こちらは養蚕の技術が外国から伝えられたことを意味しているのかもしれない。
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