端午の節句にまつわる話
 

◆菖蒲湯のはじまり
 ある娘のところに、毎夜うつくしい男が通ってきました。身なりも言葉づかいも立派で、身分ありげな人でしたが、誰もその人の名前を知らず、どこから来るのかもわかりませんでした。

 やがて、娘に赤ん坊ができて、日ごとにお腹が大きくなっていきます。娘の母親は娘に糸を通した針を手渡して
「これをあの方の着物に刺しておくんだよ」
と教えました。

 次の朝、男が立ち去ったあとには糸が垂れていました。糸をたぐりながら男のあとをつけてみると、そこは山奥で、男は大きな蛇の本性を出して独り言をいっています。
「わしの命も長くない。しかし娘の腹にはわしの子がいる。あの娘が菖蒲湯に入らなければいいが…」

 それを聞いた母親は、さっそく娘を菖蒲湯にいれました。すると、娘の腹から蛇の子がダラダラと落ちてきて死んでしまいました。それからというもの、一年に一度、端午の節句には魔よけの菖蒲湯に入るようになったということです。

糸巻きと菖蒲

 
◆蛇婿入り
 田植えの季節だというのに雨がふらず、田んぼには水がなかった。農夫が困っていると大蛇が現れて、「お前の娘を嫁にくれれば水をひいてきてやる」といった。

 そこで農夫はふたつ返事で「嫁でもなんでもやるから水をたのむ」と言ってしまうが、いざ娘たちに話をきりだすと、長女は「蛇の嫁なんていやでございます」とつめたい返事。次女も「お姉さまが行かないところへなぜわたしが行けましょう」と断る。しかし、末の娘が「おとっつぁんが困っているならわたしが行きましょう」と嫁入りを承諾する。

 はたして蛇がやってきて、娘とまじわって帰って行ったが、このままでは蛇に汚された上に蛇の子を産まなければいけないというので、祈祷師にたのんでお伺いをたててもらうと「菖蒲湯につかればよい」とのお告げがあった。そこで湯船に菖蒲をうかべて身を清めたところ、蛇の子がおりて事なきをえたという。

 
◆蛇婿入り(常陸国風土記)
 茨城の里の北のほうに、くれふし山(今でいう茨城県水戸市の朝房山)という高い山があり、ヌカビコとヌカビメという兄と妹が住んでいた。妹のヌカビメのところに、毎夜身元のしれない男が通ってきて朝には帰っていった。ある夜夫婦になって一夜で子供ができた。月満ちて、産まれた子供は小さな蛇の姿をしており、昼間のあいだは口をきかなかったが、夜になると母親と話をした。

 母のヌカビメと、小蛇の叔父にあたるヌカビコは、この子供が神の子ではないかと思い、清らかな杯にいれて祭壇にまつっておいたが、一晩のうちに杯いっぱいに育ってしまったので、大きな瓶(かめ)に移したところ、やはりすぐに育ってしまった。そんなことが三、四回あり、もう子供をいれる入れ物もなくなったので、母親が

「お前が神の子であることは、見ていれば自然にわかったよ。けれど、わたしたちにはお前を養う力がないから、おまえは父上のいるところへ行きなさい」

と言い聞かせたところ、蛇は涙をふきながら、

「母上のおおせのとおりにいたしましょう。けれど、たったひとりで行くのは心細くてなりません。どうか、わたしのお供として子供をひとりつけてください」

と言うのだった。けれども、この家には母親と叔父しかいなかったので、

「この家にお前と一緒にやる子供などいないことは、お前が一番よく知っているだろう」

と言うと、蛇はたいへんうらみに思って口もきかなくなってしまった。

 そうしてとうとう、別れの日が来ると、蛇は恨みをこらえきれずに叔父のヌカビコを殺して天に昇ろうとした。驚いたヌカビメが小さな瓶を手にとって投げつけると、それが蛇の体にあたったので、蛇は天に昇れず、くれふしの峰にとどまった。蛇を養うのに使った杯や瓶は神社におさめられ、子孫が末永く祭りをおこなった。

参考>古事記・日本書紀の蛇婿入り
参考>日本霊異記の蛇婿入り(?)←婿じゃなくて事故だけど

 
◆鬼と若者
 むかし、若い猟師が狩りに出たおりに、鬼が出てきて猟師を追いかけてきました。猟師が慌ててヨモギの原っぱに逃げ込むと、鬼はそれを見て「火じゃ、火がぼうぼう燃えておるぞ」といって近づいて来ませんでした。ヨモギの葉っぱが炎の形に似ていたからです。

 しかし、いつまでも隠れているわけにはいきません。猟師は意をけっして原っぱから飛び出しましたが、鬼のほうもすぐに気づいて追いかけてきました。どんどん逃げていって、今度はショウブの茂みに飛び込むと、鬼は「剣が生えているぞ。あいつはなんで平気なんじゃ」と言って、やはり近づいてきませんでした。ショウブの葉っぱが剣の形に似ていたからです。

 そこで猟師がショウブの葉を持って茂みの外へ出てくると、鬼は「剣が歩いてくる」といって震えながら逃げていきました。

 ちょうどその日は五月五日だったので、それからというもの、村のものたちは鬼を追い払うために、五月五日の端午の節句にヨモギとショウブを軒先につるすようになりました。

剣が歩いておるぞ

◆食わず女房
こちらをご覧ください

 
◆鬼と長芋
こちらをご覧ください
 

◆こぼれ話◆

 菖蒲湯のはじまりは、『古事記』によく似た話が記録されているが結末がだいぶ違う。男が通ってくること、糸のついた針を着物にさして婿殿のあとをつけるこまでは同じだが、その男の正体はオオモノヌシという蛇の姿をした神様だった。娘がはらんだ子は神様の子だったので大事に育てられ、やがてオオモノヌシを祭る神官になる(参考>このへんの、青い文字で書いてあるあたり)。また、蛇に魅入られて子をはらんでしまう話は『日本霊異記』にもある(参考>このへん)。

 ほぼ同じ筋の話が沖縄では三月三日に蓬餅を食べる由来として語られている。夜な夜な通ってくる見知らぬ男にはらまされた娘が、男のあとをつけてみると正体は蛇で「蓬餅を食べなければいいが」と独り言を言っているのを聞いて餅をたべ、蛇の子をおろす。もともと、三月三日の桃の節句は、上巳節(じょうしせつ)といって、旧暦三月の最初の巳の日の節句だった。中国ではこの日、若い男女が川で身を清めたあとに楽しく語らうという習慣があり、その後ゆきずりの男女が行くところまで行ってしまうということが少なくなかったらしい。ひょっとすると、そのことと関係があるかもしれない。

 読者の方が教えてくれたところによると、広島あたりでは三月三日に桃の酒、五月五日に菖蒲の酒、九月九日に菊の酒を飲んで蛇の子を下ろすという話があるそうだ。
 

 蛇婿入りは、ここで紹介したもののほか、堕胎話がついてこないものがある。その場合、末の娘が池にひょうたんを浮かべ「このひょうたんを沈められたらお嫁に行きます」と言い、蛇が必死になってる間に大量の針を投げて蛇を殺す。菖蒲は出てこないけど小道具の「針」が共通してる。「針」はオオモノヌシの伝説にも出てくる。
 

 鬼と若者は種子島の話で、この類の話では、菖蒲やヨモギの香りを鬼が嫌うとされているが、ここでは菖蒲やヨモギの形を鬼が恐れるとしている。同じような話が各地にあり、主人公が豊臣秀吉のような有名人だったり、山菜取りに入った女の子だったりと設定がいろいろで、逃げる途中で立ち寄った家が偶然にも鬼の住処で、鬼の世話をする老婆がかくまってくれるが鬼に気づかれてしまうなどの尾ひれがついていることがある。

 
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