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メルマガに「茗荷の宿で、ミョウガを食べると物忘れがひどくなるというが実際にはそんな効果はないので、茗荷と冥加(が尽きる)のダジャレになっているのではないか」という話を書いたところ、読者の方がお寺の日曜学校で見たアニメの話をしてくださった。 それによれば釈迦の弟子で須梨槃特という人は、自分の名前さえ忘れてしまうほど覚えが悪かったので自分の名前を書いた札をいつも背負っていた。その人の墓にはえた植物なので名を荷なう→茗荷と呼ぶようになったと。 須梨槃特というのは、おそらくパーリ語かサンスクリットか、そこらへんの名前の音だけを写したものだと思うので、この人はインド系の人なのだろうと思った。そこで調べたところ、この人はお釈迦様の十六弟子のひとりに数えられるほど有名な人だった。 彼には物覚えのよい双子の兄がいたそうで、兄は愚かな弟をいつもじゃまにしていた。お釈迦様がそれを見て「おまえはこれで掃除でもしておいで」とほうきを手渡したところ、素直な須梨槃特は掃除ばかりずっと続けているうちに悟りを開き、お釈迦様の十六弟子のひとりに数えられるようになったという。 ここまではインド産の仏教説話のような気がする(ただし、なんというお経に出てくるのかまで今のところよくわからない。しかし気になってしかたがないのはむしろその先である。 物覚えの悪い須梨槃特は、時に自分の名前すら忘れてしまう。そこで名前を書いた札を背負って歩いていた。やがて須梨槃特が亡くなると、その墓に見慣れない植物が生えてきた。名を荷なって歩く人の墓から生えてきたので人々はこの草を茗荷と呼んだというのである。 この話は一体どこで生まれたのだろう。茗荷は須梨槃特のように音を写したものではない。もしインド原産のお話ならば、茗荷にあたるサンスクリットかパーリ語の長ったらしい植物名がなくてはいけないのだが、どうもありそうな匂いがしない。インド料理にミョウガを使うという話は聞かないし、そもそもミョウガは東アジア(中国・朝鮮・日本)原産で、インドにはなさそうな気がする。
しかし、江戸時代の百科事典である『和漢三才図会』を読むと、中国ではミョウガに茗荷という字をあてないらしい。茗の名を嚢に変えた難しい字を書く。こうなるとミョウガ - 中国 - 須梨槃特の流れは切れてしまう。茗荷という表記のないところに須梨槃特伝説は生まれないだろう。 煮え切らない思いで検索をかけていたら、須梨槃特の晩年の話と思える伝説を掲載しているサイトをみつけた。茗荷上人(須梨槃特のこと?)という人が死に際して弟子を呼んで「自分が死んだら裏山に生える草の芽を食べなさい」と言い残した。上人が亡くなると、弟子は悲しみのあまり修行に専念できずに心惑うようになったが、師の言葉を思い出して裏山の草を食べたところ、悲しみを忘れて修行に打ち込めるようになったというのである。 この話はどうも日本の香りがする。中世の説話集のどれかに載っているんじゃないかとにらんでいるが、まだ発見できずにいる(知ってたら教えてください)。 なんにせよ昔話や落語にある「茗荷の宿」は上にあげたような伝説をもとに作られたものらしい。しかし、冥加のダジャレ説も個人的には捨てがたい。冥加というのは本来は仏の加護を意味する言葉だが、悪事をはたらいて仏の加護が尽きても仕方がないなぁというときも「冥加」と言うらしい。茗荷尽くしで冥加が尽きるというわけ。
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