こぶ爺と天照大神の近くて遠い関係 |
この話をはじめて聞いたか読んだかしたのは、ずいぶん昔のことなのではっきりいつだったかよくわからない。ただ、その時の話では ・「鬼」が宴会をしている
という設定になっていて、こぶとり爺といえば、必ずそうだと思いこんでいた。ところが、最近になって昔話の本を二冊ばかりあたってみたら、両方とも ・こぶのある爺がふたりで「神社」にこもって願掛けをしている
という設定になっていた。 そもそも「こぶとり爺」というお話は、とても古い時代から語り伝えられている昔話で、『宇治拾遺物語』という鎌倉時代初期の説話集にも「鬼に瘤とらるゝ事」というタイトルで収録されている。 今では鬼といえば大男で角があり、虎皮の腰巻きをつけて金棒を振り回していると相場が決まっているが、この時代の鬼はまだわかりやすい姿を持っておらず、『宇治拾遺物語』には 「おおよそいろんな姿の者たち、赤いやつは青い着物を着て、黒いやつは赤いふんどしをしめて、目のひとつの者がいて、口のない者や、だいたいそんな感じの者たちが百人ばかりひしめき集まって」と描写されている。単に異形のバケモノといった程度のもので、それが今のような鬼に変化しようと、天狗に変わろうと、大した違いではないのかもしれない。 天狗バージョンの話では、こぶ爺がふたりでお社にこもって願掛けをしており、この設定を採用すると、こぶ爺が最初からふたりいることがハッキリするし、爺さん1がこぶを失ったあと、たいした説明なしに2を登場させることができるので、お話を作る上では非常に合理的で世話がない。 一方、鬼と大木のくみあわせには太古の香りがする。
見知らぬ土地に漂着した主人公は遠くから聞こえてくる斧の音をたよりに三年も歩き回り、天までとどくかと思える大木をみつける。この木を阿修羅たちが切り倒そうとしているのだ。遭難した主人公は死んだも同然であるし、生きながら前世の罪をつぐないつづける阿修羅も生きているとは言い難い。両者が出会うことで阿修羅の罪は消え、主人公もまた生まれ育った社会に復帰する。ここには「大木」「舞楽」「鬼」「死と再生」がそろっており、「こぶとり爺」の源流を感じさせるのだ。 『宇津保…』の大木の話には、さらに下地になる物語がある。日本最古の歴史書として有名な『古事記』に収録された伝説だ。 仁徳天皇の時代に巨大な木があった。その大きさときたら朝日があたれば淡路島に影を落とし、夕日があたれば大阪に影を落とすというから並のスケールではない。この木を切りたおして船をつくり、淡路島より帝がおのみになる水を運ばせていたが、やがて老朽化したので焼いて塩にしたところ、どうしても焼け残る部分があった。これを琴に作ったら七つの里をこえて響く不可思議な琴になったという。残念ながらここには鬼は登場しないので「こぶとり爺」と直接はむすびつかない。では次に神話時代までさかのぼり、『古事記』からもうひとつ引いてみよう。 因幡の白兎をたすけたので有名な大国主の神は、いじわるな兄たちに何度か殺されかける。兄たちは、大木に大きな楔(くさび)を打って裂け目をつくり、言葉たくみに末の弟を裂け目にさそいこんで楔をはずしてしまう。「こぶとり爺」となんの関係があるかといえば「大木」「鬼」そして「死と再生」である。 木に閉じこめられて死んだ大国主は、あの世の王(須佐之男)と出会い、復活する。仏教伝来後の話ならば閻魔様(地獄の鬼たちの上司)と出会って帰るといったところだろう。 こぶとり爺も「木の裂け目」にかくれているうちに鬼と出会い、鬼をよろこばせて家に帰るわけだが、そのおかげで長年の悩みだった顔のこぶをとってもらう。それは生まれ変わりに等しいような劇的な変化ではないだろうか。 そしてもうひとつ『古事記』から天の岩戸伝説を引いてみよう。大国主の話では鬼の役割をするのは須佐之男であるが、その須佐之男が姉の天照大神と言い争うのが話の発端である。ここにも「大木(岩の裂け目)」「舞楽」「死と再生」のキーワードがそろっている。この世が闇に包まれたとき太陽は死に、舞楽により復活したのである。 さて、ここらでふりだしに戻ってみよう。天狗バージョンの「こぶとり爺」では、こぶ爺がふたりで「神社にこもって」願掛けをしている。願掛けの作法にもいろいろあるのだろうが、ここではお社に何日間こもって祈りつづける方法をとっている。 社にこもるということは、外界との接触を断つということなので、生きながら死んだような生活をするということだ。結局、天狗バージョンのこぶ爺たちも、大木の裂け目のような閉鎖空間をへて生まれ変わるのである。なんだ、同じじゃないか。こりゃびっくりたまげたしよひげた。とっぴんぱらりのぷう。ということでお後がよろしいようで。
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