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浦島太郎
『御伽草子』より
 それは昔のこと。丹後の国の浦島という人の息子に、浦島太郎という若者がいた。頃は二十四、五。漁師をなりわいとして、日がな一日海のものをとって年老いた父母を養っていた。

 ある日、太郎はいつものように海に出て、あちこちで釣り糸をたらし、貝を拾い、若芽を刈るなどしているうちに、えじまが磯というところで亀を一頭釣り上げる。
 大きな亀だった。よほど長く生きたのであろう。太郎は亀をあわれに思い、
「生き物の中でも鶴は千年、亀は万年と言って、長生きをするものだと聞いている。お前も長く生きたのだろうに、ここで命を落とすのじゃ悲しかろう。逃がしてやるから、この恩を忘れずにいておくれよ」
と、亀を海にかえしてやった。

 こうして浦島太郎、その日は暮れて家に帰る。
 また次の日、釣りをしようと海に出れば、海上に小船が一艘うかんでいる。なんだろうと思って見ていると、美しい女人が波にゆられながら、次第に太郎の立つ岸へと近づいて来る。岸まで寄ってくると、そこには女人のほかに誰も乗っていないことが見てとれた。

 うら若き女ひとり共もつけずに船旅とは、よほどの事情があるのだろう。太郎がわけをたずねると、女人は目に涙をうかべつつ、
「船旅の途中で嵐にあい、大勢の人が海の中に落ちました。心ある方がわたしをこの小船にのせて逃がしてくださったので命だけは助かりました。けれど、ひとりきり生き残ってもただ悲しいばかりで、いっそ鬼の島へ行ってしまおうとさえ思いましたが、行き方もわからず海を漂っておりました。そうした折りにあなた様と出会ったことは、この世ならぬ前世のご縁でございましょう」
と言って、さめざめと泣いた。

 何はともあれ、このまま漂っていたのでは、いつまた船が転覆するともわからない。太郎は綱をとり、船を引き寄せて女人を岸にあげてやろうと思った。
 けれどその女人は岸へ上がろうとはせず、
「ここにうち捨てられたのでは、海の上を漂っているのと変わりませぬ。あわれとお思いでしたら、わたくしを国へ送り届けてはいただけませぬか」
と、太郎にすがって懇願するのだった。

 中途半端な親切心というのは時としてなんの役にもたなないものだ。もっと大きな親切を要求されて困惑することもしばしば。そこまでしてやるつもりはないと放り出して立ち去ればよさそうなものだが、これなら助けてもらわないほうがよかったなんてことを言われると、厚かましさに腹がたつやら、無責任な自分に情けなくなるやらで、あまり良い気持ちはしないものだ。

 海の上に捨ておかれるのも、見知らぬ土地で放り出されるのも違いはないと言われ、太郎がどう思ったかはさだかではないが、小船にひらりと飛び乗って慣れた手つきで櫂をとり、女人が指さす方角へ船をこぎ出した。

 そのまま十日ばかり行くと、女人の故郷へたどり着く。
 船より上がり、どんな所だろうと見てまわれば、白銀でついた塀をつらね、黄金の甍(いらか)をならべた立派な門構えの屋敷があった。
 その美しさ、荘厳さといったら、口で説明しつくせるものではない。天上の神様ですら、これほどの屋敷に住まう者などないだろう。

 唖然として言葉も出ない太郎の手をとって、女人はこう言うのだった。
「同じ木の下に宿することも、同じ川の水を汲むことも、前世からの因縁と申します。ましてや波路をはるばると、こうして故郷まで送り届けてくださったことは、前世の深い縁によるものでしょう。どうかわたしと夫婦の契りを結び、この家でお暮らしくださいませ」

 仰天につぐ仰天。何気なく助けた女人は神々もかくやと言うほどの長者の娘。それが今、太郎を婿にと切々と訴えるのだからどうして断れよう。「兎も角も、仰せに従いましょう」と、夫婦の契りを結ぶのであった。
 こうしてふたりは鴛鴦のようにむつまじく、生きてはともに老い、死しては同じ穴に入りましょう、天にあるもので言えば比翼の鳥、互いに片翼しか持たぬ雌雄の鳥が抱き合って空を飛ぶように、地においては連理の枝、別れた枝が末で出会って一本にとけあうように、いつまでも一緒ですよと語り合い、楽しい日々を明け暮らした。

 さて、女房どのの言うことには、太郎が連れてこられたこの場所は竜宮城という。とはいえ、それがどのような異界か、太郎にはまるでピンと来ない。ただ櫂をとり十日ばかり漕ぎ進んだところでしかない。
 そこで女房どのは太郎の手を引き、四方に戸の開けた楼閣にやってくると、
「今宵はしばしの慰みに、ここに四季の草木をあらわしてお見せしましょう」
と、まずは東の戸をあけてみせた。

 それは春の景色。梅や桜が咲きみだれ、柳の糸は春風に、なびく霞の中からは黄緑色のウグイスの声が聞こえて、どの木も花をつけ、まことに明るくにぎやかな春の花盛りであった。

 次に南の戸をあけてみれば、そこは夏の景色。春と夏をへだてる垣根には卯の花が咲き、池には蓮の花が咲き、その葉には真珠のような露をおき、みぎわ涼しいさざなみに、たくさんの水鳥が遊んでいる。木々も梢も茂りつつ、空には蝉の声が染み渡り、夕立すぎる雲間には、ホトトギスが夏を知らせて鳴きながらトンで行く。

 西は秋。四方の木は紅葉して、低い生け垣の内側に白菊が咲き、露おく野辺に鹿は鳴き、まさに秋の風情である。

 また北を見れば冬景色。冬枯れて梢が寒くなった木々が立ち並び、枯葉における初霜や、山々や、白妙の雪に埋もれる谷間に、炭を焼く竃の煙が心細くたなびいている。

 見るものすべてが珍しく、ただ驚嘆の毎日をすごしているうちに、三年の年月が過ぎた。そのうち、里に残してきた父母のことが急に気にかかり、太郎は女房どのに故郷の様子を見に行きたいと言う。三十日もあれば言って帰ってくるからと、軽い気持ちで言ったのである。

 ところが女房どのはさめざめと泣きながら、
「三年ものあいだ、こうして鴛鴦のように比翼の契りをむすび、片時も離れずあれやこれやと心遣いをしてまいりましたのに、今ここでお別れしたのでは、またいつめぐりあえるかわかりませぬ。たとえこの世の契りが夢か幻であろうとも、必ず来世でも夫婦となるべく生まれて来てくださいませ」
と、今生の別れであるかのように言うのだった。

 いくらなんでも、それは大げさだろうと取り合わぬ太郎に、女房どのは泣きながらすべてを話しはじめた。
「もう隠してはおけませぬ。わたしは竜宮城の亀でございます。えじまが磯にてあなたに命を助けられ、そのご恩をお返ししようと、こうして夫婦となりお側に置いていただいたのでございます。どうしても里へお帰りになるとおっしゃるのなら…」
と、左のかたわらより美しい箱を取り出して、
「どうかこの箱をお持ちくださいませ。これをわたしの形見とお思いになって、片時もはなさずお側に置いてくださいませ。けれどもこの箱を、決して開けてはなりませぬ。何があっても開けてみようなどとはお考えにならないでくださいませ」
と言って、太郎に手箱を渡すのだった。

 いまだ半信半疑ながらも、妻がそこまで思い詰めているとなれば、太郎も深い悲しみにおそわれて、互いに歌をよみかわして別れを惜しんだ。そうして形見の手箱を大事にかかえ、なつかしい故郷へと船をこぎ出すのであった。

 さて、故郷に帰り着いてみれば、村には人の気配がなく、虎伏す野辺があるばかり。一体どういうことかと歩いていると、粗末な小屋で人が暮らすのを見つけて「少々おたずねしますが」と声をかければ、中から八十歳くらいの年寄りが出てきたので家族がどこへ行ってしまったかたずねた。

 その老人の言うには「浦島という家の者ならば、七百年も昔に絶えたと聞いておりますがのう」とのこと。太郎はひどく驚いて、自分が今までどこへ行っていたか、たった三年のことだとばかり思っていたのにと、事の次第をありのままに話した。
 それを聞いて、老人も涙を流し「ごらんなさい。あそこに見える古き塚こそ、浦島家の墓と伝えられておりますぞ」と、指さして教えた。

 太郎は泣く泣く、草ふかく露しげき野辺をわけ古き塚に参り「ほんの少しの間だと思っていたのに、戻ってみれば虎ふす野辺があるばかり」と涙を流して歌を詠んだ。

 さて、浦島太郎は一本の松の木の下に立ちより、希望を失い、疲れ果てて休んだ。亀の姫が形見にとくれた手箱。決して開けて見るなという言葉は覚えていたけれど、この上は何が起こっても驚くこともあるまいと、きつく結ばれた紐を解き、箱を開けてしまった。
 すると、中から紫色の煙が三筋立ちのぼり、二十四、五の若者だった太郎は鶴に変わってしまった。おそらくは亀の計らいで、太郎の齢(よわい)を箱の中にたたみ入れたものであろう。そうでなくて人である太郎が七百年の齢をどうして保つことができるだろうか。

 命あるものならば、必ず情けを知るものである。いわんや人間の身でありながら恩を見て恩を知らぬは木や石とかわりがない。情のふかい夫婦は二世の契りとは言うものの、そのようなことは滅多にないことだ。

 太郎は鶴になり蓬莱山に住んだという。また亀は甲羅に三つの良いものを供えて万年を経るという。このことから鶴や亀をめでたいものとするのだ。人は情ふかくあるべきだし、情ある人の行く末には幸せがあると伝えられている。

 その後、浦島太郎は後に丹後の国に浦島明神として顕現し、生あるものすべてを救ってくださるという。亀も同じところに神として現れて、夫婦の明神となられた。これほどにめでたいことは他にはあるまい。

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