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金精神の事
『耳袋』より 津軽にはカナマラ明神といって黒銅でこしらえた陽物を尊敬し、ご神体として尊ぶところがある。どのような由来のものかと古老にたずねたところ、次のような話をしてくれた。 遠い昔のこと。この地方の長(おさ)には娘がいた。成長するごとに美しくなってゆく娘に、父母はあふれんばかりの愛情をそそいだ。 娘が年ごろになると、近隣の少年たちが娘を妻にむかえようと争って訪ねてくるようになる。田舎ゆえほかに男子があるでなし、少年たちの中から婿をえらんで夫婦とすることにした。
突然の不幸にしばらくは悲しみに沈んで暮らしていたが、いつまでもふさぎ込んでいても仕方がないと、別の若者を婿に迎えてはみた。しかし、初夜の晩になると、その若者も死んでしまう。 それからも、娘を妻に望む者をあれこれと婿に迎えてはみたが、みな初夜の晩に死んでしまうか、娘を閨(ねや)に残して逃げ帰ってしまうのだった。
一体なんの因果であろうと、父母は悲嘆にくれながら、逃げ帰った男をたずねてわけを聞くと、
あまりの理由に父母は戸惑い、悩むのだが、己が体のことゆえ知らずにいるのもよろしくはなかろうと、折を見て娘にも話した。娘はすっかり気がふさいでしまい、鬱々とした日々をすごしていた。 ある男がこの噂を聞いて、我こそ娘御の婿になろうと、黒銅で陽物をこさえて婚姻の夜をむかえた。
このことがあってからは、娘はすっかり普通の女になり、幸せに暮らしたということだ。
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