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産生める肉団のなれる女子、
善を修し人を化する縁 『日本霊異記』下巻第十九より 丹後の国八代の郡豊服の郷の人手、豊服の広公という人の妻がみごもって、宝亀二年辛亥の冬十一月十五日の寅の時に、肉の塊を生み落とした。 まるで卵のような塊だった。これは不吉なしるしにちがいないと、夫婦は肉塊を竹の容器に入れて、山の岩陰にかくしておいた。 七日目に様子を見に行くと、肉塊がやぶれて中から女の子が出てきた。なんと不思議なこともあるものだと、父母はこの子を連れて帰り、乳をあたえて養った。この話を聞いた人、噂を聞いて見に来た人は、みな口々に不思議なこともあるものだと言いあった。 それから八ヶ月もすると、娘は急に育って大きくなったが、普通の人とは違い、頭に首がめりこんでいて、顎がなかった。身長は三尺五寸(約一メートルほど)、生まれつき利口で話すことができたし、ものわかりもよかった。七歳になる頃には『法華経』と『華厳経』を読みこなすほどであった。 そのような子供だったから、やがて出家を決意して頭髪を剃り、袈裟を着て仏法を修め、人々に仏の道を説いて歩いた。尊くも悲しくて、人の心に深くしみ通るような語り口に、みな聞き入った。 それほど立派な尼となっても、やはり姿は人とは違っており、女陰がなく、ただ尿を出す穴だけがあるので、一生のあいだ男に嫁ぐことはなかった。心ない者たちはその姿をあざけって猿聖と呼ぶのだった。 男女の根のととぬわぬ者は出家できぬという決まりがあるが、ある時ほかの寺の僧侶たちが、尼をそねんで
すると、神人が天下ってこの僧たちを鉾でつつきまわした。僧たちは恐れおののいて、叫び逃げまどっているうちに死んでしまった。 またある時、戒明大徳という僧侶が八十巻の華厳経を講説したとき、この尼は毎日かかさずに聴衆にまじわり熱心に耳を傾けた。ところが、戒明法師は異形の尼に気が付いて
これに尼はひるむことなく、
その場に居合わせた高名にして智慧ある僧侶たちは、この不思議な尼をためそうと質問をくりかえしたが、尼はすべての質問に見事に答えた。それで一同は、この尼が尊い菩薩の化身であると気づいて、舎利菩薩と呼び尊敬するようになった。 さて、このような肉の塊から仏の化身が生まれ出る例は、過去にもいくつか知られている。お釈迦様がこの世におられた頃、インドの舎衛城の須達長者の娘で蘇曼という人が、十個の卵を生み落とした。これが割れて、中から十人の男の子が現れ、みな出家して人々から敬われたという。 また、インドの迦毘羅衛城の長者の妻は、一個の肉塊を生みおとし、この肉塊から七日の後に百人の子供が生まれてきた。この子たちもみな出家して人々から敬われた。 これらはみな仏法誕生の地インドの出来事であるが、わが国ように指ではじけば潰れてしまうほど小さな国に、同じような出来事がおこるとは不思議な縁である。
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