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古宇利島の島建て
 沖縄の伝説

 世の中に人間というものがいなかった頃、古宇利島に男女の人間があらわれました。ふたりとも素っ裸で、働くということを知らず、神様が空から落としてくれるお餅を食べて暮らしていました。

 何の悩みもない生活でしたが、ある日ふたりは急に不安になりました。
「もし、神様がお餅を落としてくれなくなったらどうしよう」

 すると女の方が言いました。
「これからは、お餅を全部食べてしまわずに、少しずつ残しておいたらいいわ」

 それは良い考えだということになって、ふたりはお餅を蓄えるようになりました。
 すると、どうしたことでしょう。
 これまで毎日ちゃんと落ちてきたお餅が、落ちてこなくなってしまったのです。その日は前の日の残りを食べましたが、その次の日にはもう食べるものがありません。

 ふたりは自分たちが何か悪いことをしたのだと思って、神様にひっしでお祈りしましたが、お餅は二度と落ちて来ませんでした。

 しかたなくふたりは海で魚をとったり、木の実や草を食べることを覚えました。また、種から野菜を育てることを覚えて、人間は今のように働く生き物になったのです。

 そうしたある日、ふたりは海でタツノオトシゴがまじわるのを見ました。
 見ているうちに不思議な気持ちになって、そのまま抱き合って夫婦のいとなみを済ませました。

 すると、今まで自分たちが素っ裸で、何も身につけていなかったことに気がつきました。気づかずにいた時はなんともなかったのに、気づいてしまうと恥ずかしくて仕方がありません。そこでクバ(ビロウ)の葉をつづって身につけるようになりました。

 沖縄の言葉で原始時代のことを「蒲葵ぬ葉世(くばぬはゆー)」と言うのはそのためです。
 

参考>同文書院『アジアもののけ島めぐり』

 性交を教える生き物にタツノオトシゴが選ばれたのは、海でよく見られる生き物の中で人のように直立していること、オスとメスが尾を絡ませる様子が人間の性交を思わせることなどがあげられると思います。

 
 また、タツノオトシゴはメスがオスの腹にある袋に卵を産み、オスが「出産」する。袋の中で生まれた子供たちは、オスが軽くいきむと飛び出してくるので、安産のシンボルということになっているようです。
 前半の餅の話は旧約聖書の『出エジプト記』にあるマナの話に似てますね。

 
 エジプトから脱出したユダヤ人たちは、神様が落としてくれるマナという食べ物のおかげで、荒野でも暮らすことができました。マナは毎日ふってくるので誰も食べるのに不自由はしませんでした。ところが、ある者がマナを蓄えるようになると、急に降ってこなくなるのです。
 聖書の話は神の慈愛を疑ったことによる罰かもしれませんが、古宇利島の伝説は愛ゆえに神が人間を突き放したようにもとれます。最初の人間たちは働くことすら知らず、ただ気分にまかせて暮らしていたわけですから、放っておいたら餓えて死んでしまうかもしれません。けれど、食べ物を蓄えるという知恵さえつけば自分たちの力で暮らして行けるでしょう。
 なお、クバというのは和名をビロウといって、シュロの木によく似たヤシ科の植物です。
 

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