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この辺に季節の絵を入れる
 

平成十六年 西暦 2004 年 甲申(きのえさる)
皐月(6月18日〜7月16日) 辛未(節入り 小暑 7/7)

旧暦新暦六曜干支月・天文節気(雑節)祝日・行事等
皐月一日6月18日(金)大安戊辰朔(新月)
 今日から旧暦の五月でーす。

皐月二日6月19日(土)赤口己巳
 ナゾナゾ。みんなが私の腹をたたきますが、誰も叱りません。私の腹をたたいてみんなが喜んで歌ったり踊ったりします。私は誰?[太鼓]

皐月三日6月20日(日)先勝庚午父の日
父の日
 今日は新暦 6 月の第三日曜日で父の日です
 アメリカでアンナ・ジャービスという人がカーネーションを配って「お母様に感謝しましょう」と言いはじめたのは 1907年のことですが、それから 3 年後の 1910年、アメリカのワシントン州に住むジョン・ブルース・ドット夫人が亡くなった父親に感謝をささげるパーティーを開きました。
 ドット夫人のお父さんはウィリアム・ジャクソン・スマートという人で、南北戦争で戦った兵士でしたが、戦後の混乱の中で妻を失い、6 人の子供たちを男手ひとつで育てました。スマート氏の末娘だったドット夫人は亡き父の墓前に赤い薔薇をささげて感謝し、そのことが話題になって 6月の第三日曜日がお父さんに感謝する日とされたのだそうです。
 父の日が正式に祝日とされるようになったのは 1972 年、ニクソン大統領によって決定されたことだそうです。あくまで「正式に」祝日になった日であって、それ以前にも人々は父の日にお祝いをしていたと思います。

皐月四日6月21日(月)友引辛未夏至
 今日は二十四節気のひとつで夏至。一年で昼が一番長い日です。

皐月五日6月22日(火)先負壬申
ボウリングの日
 1861年の今日、日本はまだ江戸時代でしたが、長崎の出島(外国人居留地)に日本初のボウリング・サロンが開設されました。このことは出島で発行されていた英字新聞「ザ・ナガサキ・ショッピング・リスト・アンド・アドバタイザー」に記録されているそうです。

皐月六日6月23日(水)仏滅癸酉
 ナゾナゾ。晴れた日には着物を着て、雨の日には裸になるものなんだ。[物干し竿]

皐月七日6月24日(木)大安甲戌
UFOの日
 1947年の今日、アメリカの実業家アーノルド・ケネス氏が自家用機で飛行中に、明るく光るコーヒーの受け皿のようなものが、ものすごい速さで飛びまわっているのを目撃しました。この飛行物体は最初フライング・ソーサー(空飛ぶ皿)と呼ばれましたが、その後いろんな人が「わたしも似たようなものを見ました!」と言うようになって、アメリカ空軍は正体のわからない飛行物体のことを UFO(Unidentified Flying Object)と名づけました。未確認飛行物体という意味です。

皐月八日6月25日(金)赤口乙亥
救ライの日
 今日は救済ライの日です。ライ病の予防と患者さんの救済に理解をよせた貞明皇后(大正天皇后)の誕生日にちなんでいるそうです。
 ライ病については ここらへん をどうぞ。

皐月九日6月26日(土)先勝丙子上弦
 ナゾナゾ。お姫さまが 99 枚の着物を着ていました。99 枚目の着物の色は何色?[白(99 は百から一を引いた数字だから)]

皐月十日6月27日(日)友引丁丑ポン・ウィンネッケ流星群極大
 ナゾナゾ。木の上に立ってお月様を見ているもの、なんだ。[親(部首を分解すると「立・木・見」になる]

皐月十一日6月28日(月)先負戊寅
 ナゾナゾ。その文字は逆さにすると半分増えます。これなんだ?[6(逆さにすると9なので)]

皐月十二日6月29日(火)仏滅己卯
ビートルズ来日記念日
 1966年の今日、イギリスのロックグループ「ザ・ビートルズ」が来日しました。ビートルズといえば『イェスタデー』とか『オブラディ・オブラダ』とかが音楽の教科書にも当たり前のような顔をして歌が載ってたりするので、今時の子供たちにとっては古典的な唱歌のひとつくらいの感覚かもしれないんですけど、当時はコンサート中に観客が興奮のあまり気を失って倒れるような、とんでもない人気グループだったんです。
 それほど大人気だったビートルズの、最初で最後の来日コンサートで前座をつとめたのは、あの「ザ・ドリフターズ」だったというのも有名な話ですよね。

皐月十三日6月30日(水)大安庚辰
 今日で新暦 6 月は終わり。明日から 7 月。本格的な夏到来。

皐月十四日7月1日(木)赤口辛巳(半夏生)
 今日あたり土星探査機カッシーニが土星に到達予定らしいですよ。どんな映像を送ってくるでしょうね。
半夏生(はんげしょう)
 中国の暦は月の満ち欠けをもとにして作られていますが、太陽が無視されてるかっていうとそうでもありません。太陽が黄道上のどこにいるかで季節の移り変わりを表したりします。たとえば太陽が春分点にいるときは「春分」、そこから15度進むと「清明」、さらに15度(つまり春分点から30度)進むと「穀雨」という具合に、節目節目にいちいち名前がついています。これが二十四節気というものです。
 このほかに七十二候というものもありました。節気の中をさらに三分割して、一年を七十二に区切ったものですが「半夏生」というのは七十二候のひとつです。七十二候は細かすぎてわかりにくいせいか、今ではほとんど気にする人はいないのですが、なぜかこの「半夏生」だけは夏らしさを感じられる日として天気予報などでも紹介されることがありますね。

 半夏生というのは、半夏(サトイモ科のカラスビシャク)という薬になる植物が生える季節です。
 和名をハンゲショウというドクダミ科の植物もありますが、これは「半夏生のころに花を咲かせる植物だから」ついた名前です。ハンゲショウのことを、半夏と略して呼ぶ人もたまにいるので話が一層ややこしくなるのですが、雑節(七十二候)の半夏生の語源になった半夏(カラスビシャク)と、半夏生の頃に花を咲かせるドクダミ科のハンゲショウはまったく別の植物です。

 ちなみに、雑節(七十二候)の半夏生を 7月2日固定であるかのように書いてるサイト(某大手ポータルのインフォなんとか…その他もろもろ)がけっこうあるっぽいのですけど、半夏生は春分の日などと同じく太陽の黄道上の位置によって決められています。春分の日が年によって移動するように、半夏生も毎年同じ日に来るわけではないのです。2004年の半夏生は 7月1日です。もっと正確に言えば 21時37分に太陽が黄経 100度に達して半夏生になるそうです(参考『平成十六年神宮館家庭暦』)。

皐月十五日7月2日(金)先勝壬午望(満月)
 今日は満月。血が吠える〜、がおー。

ノストラダムスの命日
 1566年の今日、フランスの医師・占星術師で数々の予言詩を書いたことで有名なノストラダムスが亡くなりました。
 「1999 の年 7 の月 空から恐怖の大王が降ってくる…」という人類滅亡の予言詩はあまりにも有名で、予言どおり変なものが落ちてきたらどうしようって心配してた人は多いんじゃないかと思います(っていうか、わたくしなんかホントに世界の終わりとか来たら面白いかもしんないとマジで期待してました。平和を愛する皆さんごめんなさい)。
 結局、終末の予言ははずれたっぽいんですけど、ノストラダムス研究で有名な五島弁氏によれば「1999 の年」以降のことを予言していると思われる詩もあるってことだし、そもそも解釈次第でどうとでも読めそうな詩ばかりなので、今後に激しく期待したいと思います(おい)。

 日本では(というか、世界的に)ノストラダムスは予言者として有名なんですが、彼はわりと腕のいい医者だったらしいです。ノストラダムスは1503年に生まれ、1529年(25年とする資料も)に医学博士になり、ペストが大流行した時には献身的な治療を続けたそうです。これは伝説ですが、彼はペスト患者が出ると、患者の服やシーツを焼き、食器などは葡萄酒で消毒することで感染が広がるのを防いだそうです。人々がけげんそうな顔をして「何をしているのだ」と聞くと「未来では当たり前にすることだ」と言ったとか。作り話だとしても面白いでしょ?

 ペストの治療に予知能力を使ったかどうかわかりませんが、彼の活躍は王宮にまで届き、シャルル九世の侍医を務めるまでになりました。
 1566年の7月2日にリヨンにあった研究室で亡くなりました。ちなみに、当時の暦は今のものと一カ月ぐらいずれいるので、今の暦になおすと命日は 8月にあたるそうです。

皐月十六日7月3日(土)友引癸未
ソフトクリームの日
 1951年(昭和26年)の今日、明治神宮外苑でアメリカ合衆国独立記念日のパレードが行われました。この時はじめて日本人が「ソフトクリーム」というものを食べたというので今日はソフトクリームの日。
 ちなみに、アイスクリームの日は 5月9日 です。

皐月十七日7月4日(日)先負甲申
アメリカ独立記念日
 1776年の今日、「アメリカ独立宣言」がG・ワシントンによって発せられました。アメリカはそれまでスペイン・フランス・オランダ・イギリスなど、ヨーロッパ各国に植民地にされていました。

皐月十八日7月5日(月)仏滅乙酉
 今月もネタがないときはナゾナゾ。まずは中世日本の古いナゾナゾです。上には下にあり、下には上にある。母の腹をつらぬいて、子は肩(もしくは腕?)にあるものは何? 字で書いてしまうと簡単かもしれません。[「一」 上・下・母・子←これらの字をよく見てから問題を再度読んでみてね]

皐月十九日7月6日(火)大安丙戌
ピアノの日
 1823年(文政6年)の今日、シーボルトがはじめてピアノを日本に持ち込みました。これを記念して今日はピアノの日。
 ピアノという楽器の正式名称は「ピアノ・フォルテ」と言います。音楽用語で弱くはピアノ(p)、強くはフォルテ(f)と言いますが、ピアノ・フォルテはその名の通り弱い音も強い音も自在に出せる楽器として作られました。ピアノ以前にもハープシコード(チェンバロ)という鍵盤楽器があったのですが、この楽器では音の強弱が付けにくかったようです。たしか、ハープシコードは弦を爪のようなもので引っ掻いて音を出すんですけど、ピアノはハンマーで弦を叩くのですよね。見た目は似てますが、ハープシコードは弦楽器、ピアノは打楽器的な要素が強いです。

 ちなみに、ピアノはイタリアのクリストフォリが 1709年に開発しました。日本では寅楠(ヤマハの創始者)が1900年(明治33年)国産第一号のピアノを作っています。
 山葉寅楠という人は、もともと医療機器の修理などをしていた人で、音楽には詳しくなかったそうです。ある時、小学校のオルガンを修理したのをきっかけに楽器を作ろうと思いたって勉強を始めたとのこと(参考サイト>ヤマハの歴史)。  これは昔、小耳に挟んだことなのでうろ覚えですが、寅楠氏が試行錯誤のすえ最初につくったオルガンを、リヤカーにのっけてえっちらおっちら山向こうの音楽家の先生に見せに行ったら、先生はパラパラっと試し弾きをして一言「ダメだこりゃ」と。それというのも、寅楠はドレミファソラシドの音階すら知らず、音の並びが滅茶苦茶なオルガンを作ってしまったんだそうです。そのようなゼロ以下の出発から今のヤマハができたんだからスゴイですよねえ。ピアノの中古買い取りでも、カワイだと断られ、ヤマハなら多少古くて手入れが悪くても取ってくれるなんてことがあるみたいですよ(個人的にはご家庭にあるような普及品には大した違いはないような気はするんですけど)。

 これは余談ですが。わたくし保育園児の(フリをしていた)頃、家ではピアノを習っていたのでいくらか弾けたのですが、保育園のオルガンは「自分には弾けない」と思いこんでいたんです。楽譜も読めるし家にあるピアノの弾き方も知ってるけど、あの音の並びが全てのピアノやオルガンに共通してるとは思ってなかったんです。保育園のオルガンをいきなり弾けてしまうおともだちは一体どこで練習してるんだろうと本気で不思議でした。すごいなあと心底感心しました。実は家のピアノと同じなんだと気づいた時のショックは正直でっかかったです。保育園のオルガンで最初に弾いたのは、たしか「猫踏んじゃった」でした。

皐月廿日7月7日(水)赤口丁亥小暑 (七夕)新暦の七夕
 今日は二十四節気のひとつで小暑。そろそろ夏本番。

新暦の七夕
 今日は新暦の七夕です。七日の夕べ(夜)なので七夕。本来は旧暦七月七日のお祭りですが、今では新暦の 7月7日に祝う地方が圧倒的に多いですね。仙台などでは月遅れで 8月7日に七夕をやります。旧暦の七月七日を太陽暦になおすと毎年移動してしまいますから単純に一カ月遅らせたのが最初じゃないかと思います。思うだけで根拠になりそうな資料を見たことがあるわけじゃありません(と一応)。沖縄では今でも旧暦で七夕をやるそうです。ただし、本土でやるような星の祭りではなく、お墓の掃除をして先祖を供養し、旧暦のお盆の準備をするそうです。

 七夕については ここらへん もどうぞ。

皐月廿一日7月8日(木)先勝戊子
 中世日本のナゾナゾ。泉に水なし、竜かえる。一体なんのこと? ちなみに昔の人は竜という字に「りう」とカナをふりました。[白瓜/泉に水がなければ白、竜(りう)が かえる(ひっくり返る)と「うり」だから]

皐月廿二日7月9日(金)友引己丑下弦
ほおずき市
 毎年、7月9日と10日は浅草の浅草寺で ほおずき市 が立ちます。この市はもとは芝の愛宕神社のお祭りだったそうですが、いつしか浅草寺が本家本元であるかのようにいわれ、今に続いています。
 その由来は(いまいち詳細がわからないのですが)ある人の夢の中に愛宕神社の神様が現れて何かお告げをくださったのだそうです。その人はその夢を「功徳日にセンナリホオズキを水で丸のみすれば、大人は癪(しゃく)の種を切り、子供は虫の気を封ずる」と解釈しました。つまり健康になるってことです。これが大評判になって人々が真似するようになり、やがて七月の功徳日(十日)にセンナリホオズキを売る市が出るようになりました。浅草の浅草寺で売られているのは赤いホオズキですが、もともとは赤くならないセンナリホオズキを買うものだったようです。
 そういうわけで、昔は 10日に市が立っていたんでしょうが、誰よりも早く一番にお参りしたいという人が 9日から集まってきたので今では 9日 と 10日に市が立つことになっています。

皐月廿三日7月10日(土)先負庚寅
浅草観音四万六千日(功徳日)
 で、今日は功徳日ってやつらしいんです(↑の「ほおずき市」から読んでみてね)。功徳日の実体もいまいち良くわからないんですが、室町時代からいわれ始めたことで、毎月この日にお参りすると、特に御利益があるよと言われてる日なんです。7月の功徳日は 10日です。この日にお参りすると、なんとビックリ 46000日分の御利益があるんだそうですよ。土曜日だし、お近くの方はふらっと出かけてみるのもいいかも。

皐月廿四日7月11日(日)仏滅辛卯
真珠記念日
 1893年(明治26年)の今日、御木本幸吉・うめ夫妻が世界で初めて真珠の養殖に成功しました。三重県は昔から真珠の産地でしたが、真珠を作るアコヤガイが乱獲され、御木本夫妻はこのままでは真珠がとれなくなるのではないかと考え、資材をなげうってアコヤガイの養殖に着手しました。赤潮に襲われて貝が大量に死んでしまうなどの不幸にみまわれながらも 5 粒の真珠を取り出すことに成功しました。これを足がかりに真珠養殖の技術を確立し、世界中に「ミキモトパール」の名を知らしめたのです。

 安定して真珠が作れるようになると、欧米の真珠業者が「ミキモトの真珠は偽物だ」と言いはじめましたが、学者をまじえて鑑定したところ本物だと証明され、ミキモトの名をさらに高めたというエピソードもあります。また、世界中で宝石の重さをカラットで表すように、真珠の重さは匁(もんめ)で表すことになっています。

 ちなみに、真珠を作る貝はアコヤガイだけではありません。イケチョウガイ、マベガイなどでも質のいい真珠ができます。というか、たいていの貝で真珠が作れるんだそうです。身近なところではアサリにも真珠ができるんですが、輝きもなにもない白っぽい玉にしかならないそうです。
 中国の古典『 山海経 』に、真珠を生む水鳥の話が出てきますが、マベガイの貝殻は、空を飛ぶ鳥を真横から見たような形に見えるので、そのあたりから生まれた迷信ではないかと考えられます。

皐月廿五日7月12日(月)大安壬辰
 中国のナゾナゾ。あなたの顔の前に見えるもの。でも暑い日には見えないの。寒い日にはよく見えるんだけどな。これ何のこと?[息/寒いと息が白く見えるから]

皐月廿六日7月13日(火)赤口癸巳盆の迎え火
盆の迎え火
 お盆が近づくとご先祖様をお迎えするために家の前で小さなたき火をする地方があるみたいなんですけど、わたくし残念なことにこの件に関しては経験なし。たき火をしたことはないのですが、火のついていない提灯をもってお墓へ行き、火を灯して家に帰り、その火で灯明をあげるというようなことを小さい頃にどっかで経験した記憶があるのですがうろ覚え。お灯明はロウソクではなく灯油の小さなランプでした。

 各地方にいろんな習慣があると思います。そんなこと当たり前でしょって思ってることが全国ルールとは違うことも少なくはないです。身近にお爺ちゃん・お婆ちゃんがいる人は、よく聞いて覚えておきましょう。

皐月廿七日7月14日(水)先勝甲午
 中国のナゾナゾ。それは誰でも持っている。そっくり同じ顔の兄弟なのに、大きな山のあちらとこちら。喧嘩しているわけじゃなく、話し声も聞こえるのに、死んでも顔を合わせない。これ何だ?[]

皐月廿八日7月15日(木)友引乙未新暦のお盆
新暦のお盆
 今日は新暦のお盆です。お盆は新暦でやる地方と、月遅れでやる地方と、旧暦でやる地方があります。

 お盆は『盂蘭盆経』というお経に出てくる話が由来になっています。
 お釈迦様の弟子に目連という人がいます。この人は修行によって世界中のどこまでも見通す力をみにつけた人ですが、ある時、自分の死んだ母親があの世でどうしているか心配になって千里眼を使ってみました。するとどうでしょう。目連の母親は餓鬼道に落ちて苦しんでいるではありませんか。

 餓鬼道というのは、生きているときに欲ばっていた人が落ちる恐ろしいところです。目連は立派なお坊さんですし、目連を育てたお母さんだって立派な人なのに、どうしてそんな場所に落ちてしまったのでしょう。

 そのことを目連から聞いたお釈迦様はこういいました。
「母というのは自分の子に対して限りない愛をそそぐものだよ。けれど、その愛ゆえにむさぼる心をおこしてしまう。おまえを腹に宿しているとき、空腹にたえきれず人の食べ物に手を出したかもしれない。お前がかわいいあまりに皆にわける食べ物をお前にだけそっと与えたかもしれない。母親はまわりのものが何も見えなくなるほど子を愛するものなのだ」

 そしてお釈迦様は、七月十五日に死んだ人を供養する行事をおこなうように言いました。世界中の人がこの日にお坊さんを招いて供養すれば、目連の母親ばかりか、すべての死んだ人が救われるというのです。これが盂蘭盆会のはじまりです。

ファミコン発売
 1983年の今日、任天堂が家庭用ゲーム機ファミリーコンピューター(通称ファミコン)を発売しました。定価 14800円。その後、スーパーファミコン、任天堂64、任天堂キューブなどと、高性能ゲーム機が発売されましたが、ファミコンの生産そのものは細々と続いていたみたいです。去年(2003年)で20周年を迎えたファミコンは、ついに生産中止され、その歴史を閉じました。

 余談ですが、珍獣様がファミコンを手にしたのは発売からだいぶ遅れた1988年の12月24日のこと(たぶん)でございます。クリスマスプレゼントではなく自力で買いました。さすがに本体だけでは遊べないことは知ってましたが、「デモ用のソフトくらい付いてるだろうフツー」と思ったんです。ところがビックリ、本当にまったく本体だけで売られていたのですよ。当時はそれで当たり前でした。なんちゅー商売しとるんじゃ、これじゃ動作テストも出来ないじゃないかー、などとブチブチ言いながらソフトも買いに行ったのですが、まともそうなものは高くて手が出ず、一番安かった『ミリピード』というシューティングゲームを買いました。インベーダーゲームに毛の生えたようなやつでした。基本なのでそれはそれでいいのですが、好みのものとは違うのでつまんなかったですー。二番目に買ったのが『キャッスルエクセレント』というアクションパズルで(これは面白かった)、三番目はもう覚えてないけど六番目くらいが『MOTHER』だった気がするであります。ここに辿りつくまでに一年くらいかかっているであります。そしてゲーム狂いの日々に。わたくしをオタクにしたのは糸井重里という悪い人です。かなりニクイです。『MOTHER 3』もホントに作ってね。どんなゲーム機で出てもきっと買ってしまうわ(泣)

皐月廿九日7月16日(金)先負丙申盆の送り火
盆の送り火
 迎え火の経験がないってことは、送り火もしたことないんだよねー。とにかく、お盆のあとに火を焚いてご先祖様をお送りするという地方があるらしいです。
 ちなみに、迎え火のところで書いた提灯の話は、送り火の火にお灯明から提灯に火を移してお墓へ行き、火を消して帰ってくるんだったような気がするんですが、これまたうろおぼえ。

水無月一日7月17日(土)赤口丁酉朔(新月)
 今日から旧暦の六月(水無月)で〜す。
 京都のほうでは祇園祭が行われる頃みたいですが、そっち方面に行ったことがないのでピンときません。日本ってなんだかんだ言って広いですわよ。その土地その土地で季節の風物詩はまったく違うんだから。

水無月二日7月18日(日)先勝戊戌
 中国のナゾナゾ。金をなくしたというけど、そいつはもともと金じゃない。さて何だ?[鉄(金を失うと書くから)]

水無月三日7月19日(月)友引己亥海の日 土用の入り
海の日
 今日は 7月の第三月曜日で海の日です。海の日は1996年(平成8年)から始まった国民の祝日で、最初は毎年 7月20日の固定祝日でした。その後また法律が変わって、2003年(平成15年)から 7月の第三月曜日ということになってます。

 海の日は「海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う日」だそうです。お休みが増えるのはいいことですが、由来がどうもハッキリしないし、いまいち影の薄い祝日ですよねえ?

 ところで、海の日はなぜ 7月なんでしょう。夏休みの開始にあわせて適当に決めたのかと思ってたんですが、実は歴史的に意味があるらしいんです。1876年(明治9年)、明治天皇は東北と北海道を巡幸されたのだそうですが、函館から横浜への長い船旅の最中に波が荒くなり、三日間も船がゆれてお付きの人たちが船酔いでバタバタと倒れてしまったそうです。ところが明治天皇だけは気をしっかりもって椅子に座り、お付きの者たちが心配して「どうか横になってお休みください」と必死になってすすめたのだそうです。こうして、厳しい船旅を終えて横浜に到着したのが 7月20日のことでした。

 …でも、この話のどこが「海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う日」なのって思うでしょ。たしかに明治天皇は近代日本を繁栄させるために、良くも悪くも尽くした人だし、まったく関係ないとは思わないけど、なんとなくピンとこないんですよねー。

 実は海の日を決めるにあたって、ほかにも候補があったんだそうです。中でも幕末に太平洋の荒波を乗り切り、アメリカまで行って帰ってきた咸臨丸の帰国の日なんかは、説得力もあってかなりいいと思うんですけど、この日は新暦になおすと 11 月にあたるんだそうで、こんな涼しくなっちゃった時期に海の日なんかやっても気分が出ないんですよね〜。それで、明治天皇ゆかりの 7月20日ってことに決まりました。

 そういうわけで、歴史的に意味はあるけど、いまいちピンと来ない日だったりするので、ハッピーマンデー法が出来たときにタチマチ移動休日にされてしまったのも納得だったりするわけで、今では 7月の第三月曜が海の日ってわけなんですよ。とりあえず夏ですねー。

土用の入り
 中国の五行思想では、春は木、夏は火、秋は金、冬は水の属性ですが、これでは土属性が余ってしまいます。そこで、立春・立夏・立秋・立冬の当日から18日(19日の時もある)前までの期間を土用といって、土の神様が支配する時期としていました。というわけで、土用は夏だけじゃなく一年に四回あるという話はこれまでに何度もしていますが、やっぱり有名なのは夏の土用ですよね。

 夏の土用は暑さの厳しい時で、農繁期でもありますから、特に注目されて夏土用にまつわる言葉が沢山あります。今でも良く聞く言葉としては「土用波」なんてのがありますよね。夏も終わりに近づくとそれまで静かだった海岸に大波が来るようになります。これが土用波です。遠く南のほうで発生した台風の影響だとか言われてます。逆にこの時期にしては波が静かな時を「土用凪(どようなぎ)」とか言ったりします。「土用干し」なんてのもあります。夏のあいだ身につけた服や本を干して虫がつくのを防ぎます。ナツフジ(夏藤)といって山に生える藤に似た植物のことを「土用藤」と言うこともあります。普通の藤は 5 月ごろに花を咲かせますが、ナツフジは土用の頃に花をつけるからです。「土用餅」といって砂糖を入れてついた餅を食べる地方もあるみたいです。厄よけになるそうですよ。夏休みを「土用休み」と言う人もいます。土用の頃に始まりますからね。

 ところで、夏の土用といえば土用の丑の日が一番有名なのですが、それについては 7月21日 を読んでください。

水無月四日7月20日(火)先負庚子
2000年前の蓮の花
 1952年の今日、2000年前(弥生時代)の遺跡から発掘された種から育てた蓮の花が開花しました。この種を発掘した東京大学農学部教授の大賀一郎氏で、その名にちなんで大賀蓮と呼ばれています。その後、この蓮は日本中に株分けされて、あちこちで見られるようになりました。ピンク色の大きな花を咲かせる蓮です。余談ですが、わたくしこと珍獣様も群馬県の多胡碑記念館で大賀蓮を見ました。昔の人もこれと同じ色の花が風にゆれるのを見ていたのだと思うと不思議な気分になりますよ。

水無月五日7月21日(水)仏滅辛丑土用の丑の日
土用の丑の日
 今日は土用の丑の日です。土用については 7月19日 に書きましたので興味のある人はご参照ください。

 で、夏の土用のうち、丑の日にあたる時に、ウナギを食べると夏バテしないと言われています。この由来はいくつかあるんですが、昔から丑の日にウのつくものを食べると夏負けしないと言われていて、江戸の発明家である平賀源内がそれをヒントに「丑の日にウナギを食べると夏負けしない」と言いはじめたら大ヒットしてしまったという話が有名です。ちなみに、冬土用の丑の日に女の人が口紅を買う習慣もあるそうなので、もともと「丑の日」には特別な意味があったんだと思います。

 ちなみに、丑の日はどうして決まるかというと、今年は申年(さるどし)といように、日にも十二支をあてはめて「今日は丑の日」なんてことを言うわけです。土用は18日(ないし19日)間ありますから、年によっては丑の日が二度まわってくることがあります。今年は 8月2日に土用の丑の日がもう一度ありますので、ウナギ好きのみなさんはラッキーですね。

水無月六日7月22日(木)大安壬寅大暑
 今日は大暑。暑さはどんどん厳しくなります。昨日はウナギを食べましたか?

水無月七日7月23日(金)赤口癸卯
 中国のナゾナゾ。これはちょっと難しいかも。その家ではブタを一頭売り、ウシを買い入れました。すると、あら不思議、家だったのに家じゃなくなっちゃった。一体何になったでしょう。[牢(家から豕(いのこ、ブタのこと)をなくして、牛(ウシ)を連れてくると…)]

水無月八日7月24日(土)先勝甲辰
琵琶湖が国定公園に
 1950年の今日、日本で最初の国定公園として琵琶湖が指定されました。国定公園は「国立公園に準じる優れた自然の風景地」だそうです。ちなみに、琵琶湖にいるゲンゴロウブナは、人間なのに雷さんの弟子になった源五郎が、雲の上から雨を降らせているうちに足を滑らせて琵琶湖に落ち、溺れて魚になったものという言い伝えがあります。

水無月九日7月25日(日)友引乙巳上弦
ルービックキューブ日本発売
 1980年の今日、六面体パズル・ルービックキューブが日本で発売されました。日本での販売元はツクダオリジナル…この会社は2002年にバンダイに買いとられてなくなっちゃいましたけど。
 ルービックキューブはハンガリーの建築学者ルービック氏が考案したパズルで、解き方を知らずに解くのは不可能じゃないかってくらい難しいです。早解き名人なんかも現れて、当時はものすごい人気でした。わたくしも持ってましたけど、ツクダオリジナルの純正品じゃなく、露店で買ったパチものです(爆死)
 ちなみに、ルービックキューブは、バンダイグループの PALBOX ってところで今も売られてます。攻略本とかもまだ買えるみたいですよ。>PALBOX のサイト

水無月十日7月26日(月)先負丙午
 中国のナゾナゾ。昔のことを語れば涙を禁じ得ない。私の家は十人家族で(我家十口人)、身を被うのは草ばかり。[苦(分解すると十・口・くさかんむり)]

水無月十一日7月27日(火)仏滅丁未
 中国のナゾナゾ。半分は二本足、半分は四本足。四本足には角がある。[件(左側はにんべんなので人で二本足、右側は牛なので四本足で角がある) 中国のナゾナゾでは単純に「件」という文字のことを言っているのだが、日本の妖怪で件(くだん)というのに繋がりそうで面白い]

水無月十二日7月28日(水)大安戊申
 中国のナゾナゾ。左を見れば二十日。右を見れば三十日。毎日来るもの。これは何?[朝/この文字の左側は十十日で二十日。右側は月でだから一カ月はおよそ三十日]

水無月十三日7月29日(木)赤口己酉みずがめ座δ流星群の南群が極大
パリの凱旋門が完成する
 1836年の今日、パリの凱旋門が完成しました。ナポレオン一世時代の戦勝記念碑で、1806年に皇帝の命令で建造計画が始まりましたが、ナポレオンは 1811年に亡くなっているので凱旋門の完成を見ていません。

水無月十四日7月30日(金)先勝庚戌
雫石で飛行機事故
 1971年の今日、岩手県の雫石で全日空機と自衛隊機が衝突しました。ものすごい事故だったらしいです。

 事故そのものの記憶はあんまりないのですが、知人が雫石のなんとかいう会社に勤めていて「このあたりで事故があったらしくて霊感の強い同僚が残業のたびに怯えている」というような話をしてたのが印象的でした。

水無月十五日7月31日(土)友引辛亥
 今日で新暦の 7 月もおしまい。明日から 8 月です。


参考文献

 今月のナゾナゾは『中国語・なぞなぞの本icon』を参考にしました。楽しみながら中国語も勉強できます。

 記念日関連は『この日なんの日科学366日事典icon』を参考にしました。科学に関する「この日何の日」の本です。記念日を列挙しただけでなく、ちょっとした読み物としても楽しめる本です。
 


七夕(たなばた)

 今月もダラダラ書かなきゃならないこのスペース。空白行じゃ寂しいので何か書こうというケチくさい根性で今月もゴー。

 天帝(天の神様)にはとても美しい娘がいました。
 布を織るのが上手で、暇さえあれば端織り機に向かって、とんからばったん、とんからばったんと、布を織っておりました。

 仕事が好きなのはいいことですが、年ごろの娘が恋も知らずに機織りばかりしているというのも悲しい話です。そこで天帝は、天の川の向こう岸で牛を飼っている牽牛(彦星)のところへ娘を嫁にやることにしました。

 ところが、それからというもの、娘は機織りを忘れて遊んでばかり。働き者だった牽牛もすっかり怠け者になってしまいました。

 怒った天帝は、ふたりを天の川の両岸に引き離し、一年に一度、七月七日の夜にだけ会うことを許しました。

 これは七夕の由来を説明するお話です。七月七日の夜のお祭りだから「七夕」です。機織りがうまい織女にあやかって、手芸が上手になるように祈るお祭りです。これが日本にも取り入れられて、今のようなお祭りになりました。

 ところで「七夕」と書いて、なぜ「たなばた」と読むのでしょうか。中国のお祭りをそのまま取り入れたのなら、普通に音読みして「シチセキ」と言っても良さそうじゃありませんか。

 それには、日本古来の風習が関係しているのだそうです。
 日本ではお盆の頃に女性が機屋に籠もって棚機(たなばた)で布を織り、神様が下りてくるのを待つ風習がありました。『瓜子姫』という話で、姫が機織りをしていると天邪鬼(あまのじゃく)がやってくるというシーンがありますが、これは棚機女(たばばたつめ)の風習がもとになってできたお話だという説があるそうです。

 この、棚機の風習と、中国から来た七夕がむすびついて、現在のようなお祭りになりました。「たなばた」という読みは棚機から来ているというわけです。

 最初に紹介した伝説は、さまざまな尾ひれがついて、おもしろくてちょっぴり悲しい昔話として各地に伝わっています。
 

漢民族の昔話
 牛郎(牽牛のこと)は兄から嫌われて下男のように扱われていましたが、かわいがっていた牛の助けで分家して家を出ました。その牛が言うには、七月七日になると西王母の七人の孫娘が地上に洗濯しにくるから、末の娘(織女)の着物を隠してしまえ、というのです。

 牛郎が言われたとおりに織女の着物を隠してしまうと、織女は天に帰れなくなり、牛郎のお嫁さんになります。ふたりの間には子供も生まれますが、ある日、織女は自分の着物をみつけて天に帰ってしまいました。

 牛郎が悲しんでいると、賢い牛がまた言いました。
「オレを殺して皮をかぶり、ふたりの子供を天秤棒で担ぐのだ。オレの骨を焼いて、その煙に乗って天にのぼってゆけ」
 牛郎は、恩のある牛を殺せないといって、最初はことわりますが、牛がどうしてもと言うので、言われたとおりにしました。

 織女の父親は、牛郎をひと目見ると、娘をこんな男の嫁にしておくのは惜しいと思い、適当にあしらって殺してしまおうと考えました。知恵や力をためす勝負をいどみますが、そのたびに織女が助けてくれるので牛郎が勝ちました。

 最後に、駆け比べをすることになり、織女は自分の簪(かんざし)を牛郎に手渡して、
「わたしが『掻いて』と叫んだら、自分の前の空気を簪で掻きなさい。前を掻くのよ。後ろを掻いてはだめよ」
と言いました。

 牛郎が先に駆けだして、父親があとから追いかけてきます。もう少しで追いつかれそうになった時、織女が叫びました。
「あなた、掻いて!」
 慌てていた牛郎は、妻に言われたことをすっかり忘れ、自分の後ろを掻いてしまいました。
 すると突然、大きな川が現れました。妻も父親も川の向こうにいます。牛郎だけがこっちがわに取り残されてしまいました。川に隔てられたふたりは、しばらく泣き暮らしていましたが、織女はやがてあきらめて引き上げてゆきました。牛郎は川岸に住み着いて、ひとり寂しく暮らしました。この時できたのが天の川です。

 織女の母親がふたりを哀れんで、一年に一度だけ、いろいろな鳥の頭の羽根をとって天の川に橋をかけます。この時だけふたりは会うことができるようになりました。

沖縄の昔話
 天女が水浴びをしているのを見て、若い牛飼いは天女の飛羽(ハゴロモのようなもの)を隠してしまいました。仕方なく天女は牛飼いのお嫁さんになることにしました。

 何年か一緒に暮らし、ふたりはすっかり仲の良い夫婦になりました。天女がそろそろ里帰りしたいというので、牛飼いは隠しておいた飛羽を出してやりました。

 天女は牛飼いを抱えて空へ飛び立ちました。天界へ行く途中で、
「あなた、里でわたしの親が、縦に切れと言ったら横に切りなさい」
と、いいました。そうしないと悪いことが起こって二度と会えなくなるというのです。

 天へたどりつくと、娘の婿が来たというのでたいそうなもてなしを受けました。天ではちょうど胡瓜(きゅうり)の季節で、お祝いの品として立派な胡瓜がふたりに贈られました。

 牛飼いが胡瓜を切ろうとすると、妻の両親が「縦に切れ!」と叫びました。縦に切れと言われたら横に切らなくてはならないのです。けれど、牛飼いは妻に言われたことを忘れ、縦に切ってしまいました。

 すると、胡瓜から大量の水があふれ出して目の前に大きな川が現れました。牛飼いと天女は川にはばまれて、一年に一度、七夕にしか会えなくなってしまいました

天稚彦物語(御伽草子より)
 『御伽草子』は江戸時代〜明治にかけて編纂された物語集ですが、これにも七夕伝説が出てきます。漢民族の話と、沖縄の話を足して、さらに『古事記』に出てくるオオクニヌシとスセリヒメの話を混ぜたみたいな物語になっています。

 面白いんですが、とにかく長くて…あ、昔書いたのが残っていたので、そのまんまコピペっと。

 ある長者の家には三人の娘がいました。ある日、長者のところに大蛇が現れて、娘のうち誰かひとりを嫁にくれないと親子ともども皆殺しにすると言って脅しました。

 困った長者は、娘たちに事情を説明しますが、長女と次女は蛇の嫁なんかいやだといいました。末娘だけは承知してくれたので、湖の岸に新居を建てて、大蛇を婿として迎えることにしました。

 娘が待っていると、稲妻とともに大蛇が現れて、娘に刀を渡します。この刀で大蛇の頭を切れというのです。
 娘が言われた通りにすると、大蛇は立派な若者になり「わたしは海竜王の息子、天稚彦である」と名乗りました。

 娘と天稚彦は、しばらくの間甘い新婚生活を送りますが、夫が天上界に用事があるといって、家を空けることになりました。
 出かける前に、天稚彦はこう言い残しました。
「二十一日たってもわたしが戻って来なかったら、一夜杓(いちやひさご)に乗って天へのぼってきなさい。一夜杓は京の都の西のはずれに住んでいる女が持っているよ」

 娘は夫の帰りを待ちましたが、二十一日たっても帰ってきません。そこで、都の西のはずれへ行ってみると、女たちが一夜杓を育てています。一夜杓というのは、一晩で天までのびる瓜のツルのことです。

 娘は一夜杓に乗って天へのぼってゆきました。途中で宵の明星や帚星、昴などに出会ったので夫の行方をたずねましたが、みな知らないと言いました。
 最後に明けの明星に聞いてみると、もう少し行ったところに天稚彦の家があると教えてくれました。

 こうして娘と天稚彦は再会しましたが、天稚彦には恐ろしい鬼の姿をした父親がいて、息子の嫁を試してやろうと、無理難題をふっかけてきました。

 最初の試験は牛の世話です。天稚彦の父親が飼っている千頭の牛を、娘がたったひとりで放牧し、夜には牛舎にもどさなければなりません。
 娘は天稚彦から着物の袖をもらい、「天稚彦の袖袖」と唱えながら牛の前で振りました。すると、牛たちは娘のいうことを聞いて、自分から牧草地へ行き、夜になるとおとなしく牛舎に帰りました。

 次の試験は、蔵いっぱいの米を隣の蔵に移せというものでした。娘が呪文を唱えながら天稚彦の袖を振ると、どこからか蟻の大群が現れて、米を隣の蔵に移してくれました。

 二度もしてやられ、怒った父親は、蛇と百足が沢山いる牢屋に娘を放り込んでしまいましたが、天稚彦の袖を振ると、蛇も百足もおとなしくなり、娘は怪我ひとつしませんでした。

 さすがの父親もあきらめて、ふたりの結婚を許しましたが、「会うのは一ヶ月に一度だけだぞ」と条件をだしました。ところが娘は勘違いして「一年に一度ですね?」と聞き返したので、父親は澄ました顔で「そうだ、一年に一度だけだぞ」と答えました。

 それから父親は瓜の実を取ってきて、娘と天稚彦の間に投げました。すると、瓜の実から水が噴き出して大きな河ができました。これが今で言う天の川です。

 こうして、娘と天若彦は一年に一度しか会えなくなってしまったのです。
 

 七夕伝説は、天女の羽衣伝説と合体してるものが多いです。日本と中国だけでなく、ひょっとすると東南アジアにもありそうな気がします。根性を入れて収集すると面白そうですね。

 ってな感じで、今月もこのくらい書いておけばいいかな。
 それではみなさん、また来月〜(たぶん誰も読んでねーよ〜)。

 

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