河童伝説
 
 
◆河童の手
 子供が河童に引かれそうになったので庄屋の叶之助がとんでいって河童の腕をひきぬいた。よく見ると河童の腕は藁しべだった。夜になると河童が腕を取り戻しに来たので、もう悪さはしないと約束させて返してやった。

 
◆河童の薬(群馬県吾妻郡)
 群馬県吾妻郡の六合村の湯本という医者が、馬で往診にでかけると橋の上で馬がすすまなくなった。さては化け物のいたずらかと馬の足元に目を凝らしたが、たそがれ時であたりは薄暗く、何も見えなかった。

 そこで、刀を抜いて馬の足元を切り払うと、ギャッと声がして、何かが川に飛び込む音がした。馬から下りてあたりを探ると、固くてぬるぬるとした手触りの腕が一本落ちていたので拾って持ち帰った。

 その夜、河童が医者の家に現れて、腕を返してくれたら河童の傷薬の作り方を教えると言った。医者は河童に二度と悪さをしないと約束させ腕を返した。この家に今でも伝わっている傷薬の作り方は河童に教えられたものだという。

 
◆けつにたまげて逃げた河童(群馬県薄井郡)
 じいさんが田んぼで仕事をしていると、河童が出てきて、

「じい様、わしが田の草ぁ手伝ってやるべ」

と言った。じいさんは

「昼過ぎまで、助っ人(すけっと)してくれれば、うんめぇ小豆粥を作ってやるべえ」

と言ったが、内心では「この河童、わしをとって食おうとしとる」と思い、田んぼに水を入れてもってきた鉄瓶を蓋を取って、河童にきづかれないようにふんどしと尻のあいだに入れておいた。

 そうとも気づかずに、河童はじいさんのすきをみて尻をさわった。するとじいさんの尻がやけに固くて丸い。しかも、団子みたいな丸い取っ手がついているので、

「このじじぃのケツはカナッケツだぁ」

と言って近くの堀へ逃げてしまった。

 
◆河童の首(鹿児島県串木野市)
 ある飛脚が川で河童に呼び止められた。一緒に相撲をしようとしつこく言われたので腰の刀を抜いて河童の首を切った。

 その首を刀にさして歩いていると、川から河童があがってきて「首を返してほしい」と口々に言うが、河童は金属とソバ団子を嫌うので近づけない。

 男は河童の首を桐の箱に入れて床の間に備えておいた。河童は手や首を切られても七日の間にくっつければもとにもどるというので、それからも河童が返してくれと言ってきたが返さなかった。

 結局、首は男の家に残ったが、床の間で子供たちが遊んでいると急に頭が痛くなることがあった。また、家が火事になった時、誰も持ち出していない河童の首がちゃんと庭に出ていたこともある。

◆河童の年貢(熊本県天草郡)
 天草の下島と上島のあいだを一隻の船が通っていると、岸にいた男が「この樽と手紙を届けてほしい。中は決して見ないでくれ」という。船頭は承諾して樽を乗せるが、あまりに重いので気になってあけてみると中には黒くてどろどろした人の肝が入っていた。手紙は河童の王様あてで「今年も年貢を納めます。九十九個しかありませんが、残りは船頭の肝をとってくださ」と。怒った船頭は樽を海に投げ捨てた。
 
 
◆河童とちまき(鹿児島県大隈地方)
 ちまきの巻き方には男結びとひっかけ結びがある。ある村で端午の節句に男の子が河童にとられることになっていた。母親は息子に男結びとひっかけ結びのちまきをもたせて「河童が出てきたら男結びのほうをわたすんだよ」と、教えた。

 果たして河童が現れて、男の子と並んでちまきを食べることになった。男の子のちまきはひっかけ結びなので紐をひけばほどけてしまう。けれど河童のちまきは男結びなので、紐を引けば引くほどかたくしまるのだった。

 おかげで河童はちまきをほどくことができず、河童は男の子をあきらめて川へ帰ってしまった。それ以来、このあたりの村では端午の節句に麦わら人形を作り、男結びのちまきを抱かせて川に流すようになった。
 

菖蒲湯の由来はこちら 
 
◆河童と貝殻(鹿児島県薩摩郡)
 河童は夜になると馬小屋へ入り込み、一晩中馬をのりまわして疲れさせたあげくに尻尾をしばっていたずらする。おかげでその翌日は馬を農作業に使えなくなってしまう。

 ある日、農夫が川のほとりを歩いていると、たくさんの河童が相撲をとっていた。河童たちは農夫がいやがるのも聞かずに相撲のなかまにひっぱりこんでしまった。

 このままでは負けてしまうと思った農夫は、まず自分が逆立ちして見せて、これが出来たら相撲をとろうと河童をそそのかした。河童たちがマネをすると頭の皿から水が出てしまい、みな力を失った。それで農夫は河童をはしから投げ飛ばして、一匹だけつかまえて家に帰った。

 つかまえた河童を馬屋にの柱にしばっておくと、河童は馬に餌をやりにきた下男をキイキイうるさく鳴き立てた。怒った下男が馬桶の水を河童にひっかけたところ、頭の皿に水がかかって河童は力をとりもどして逃げてしまった。

 このままでは河童の仕返しにあうと思った農夫は、馬小屋の入り口にアワビの貝殻をつるしておくことにした。おかげで河童のしかえしにあわずに済んだので、今でもこのあたりの農家では馬小屋に貝殻をつるす。
 

◆河童と下女(鹿児島県指宿市)
 馬にいたずらしようとした河童をつかまえる。頭の皿から水を出し、馬小屋の柱にしばりつけておいた。そこへやってきた下女を河童がさんざんからかうので、下女は怒って桶いっぱいのニゴシ(飼料)を河童にぶちかけた。皿に水分をえた河童は縄を抜けて逃げて行った。

 
◆河童の相撲(鹿児島県指宿市)
 男の子が川のふちを歩いていると、十人くらいの河童が相撲をとっているのに出会った。河童が一緒に相撲をとろうというので「ご飯をたべてきてからにする」と言って家にかえるが母親がいない。仕方がないので仏様に供えてあるご飯を食べて川にもどると、河童たちは「お前の体は光ってる。お前みたいなやつとは相撲はとれない」と言って相手にしてくれなかった。

  
◆河童の瓶
 河童に馬をひかれそうになったので、慌ててつかまえてお寺にひきずっていった。和尚さんは「今日は田植えだし殺生はひかえなされ」と河童をゆるしてやった。恩を感じた河童は、耳を近づけると気持ちのよい水音のする瓶を残して去っていった。

 
◆江戸城の河童(東京)
 麹町に十兵衛という飴屋がいた。毎日店じまいする頃に貧しい身なりの子供が来るので飴を一本わたしていた。ある日子供のあとをつけてみると、江戸城のお堀にどぼんと飛び込んで消えてしまったので、河童だったとわかった。

 
◆かっぱ橋(東京)
 今でいう浅草のかっぱ橋のあたりは水はけがわるく、たびかさなる洪水で住民がくるしんでいた。雨具の販売でもうけた合羽川太郎という人が私財をなげうって掘り割り工事をはじめたところ、あちこちから河童があつまってきて手伝ってくれた。堀にかけられた橋はかっぱ橋とよばれ、近くにあるお寺はかっぱ寺と呼ばれている。>昔話の舞台を訪ねて

 
沼神の文使い
 娘が沼のほとりを歩いていると河童が現れて手紙を託した。途中で僧侶に出会い手紙を見せると手紙は白紙だった。水をかけると文字が浮きあがり「この女を食べろ」と書いてあった。僧侶はカボチャの茎で手紙を書き直して娘に渡した。娘が下沼の河童に手紙を渡すと「この女に金をやれ」と書いてあったので河童はブツブツ文句を言いながら娘にお金をなげつけて消えていった。

 
◆河童のはじまり
こちらをどうぞ

 
◆ひょうすぼ(宮崎県)
 ひょうすぼ(河童)は子供とおよぎくらべをして負けそうになったので抱きついて溺れさせた。村人がひょうすぼをつかまえて、あの岩が腐って裂けるまで悪さをしないと約束させた。今でもひょうすぼは岩をさすりながら「早く裂けてくれんかのう」と言っている。

 
◆大宮の淵の河童(鹿児島県薩摩郡)
 大宮の淵には河童が住んでいて旅人を水に引きこんでは困らせていた。村人たちが河童を退治しようと話していると、河童のはなしを聞いた僧侶がやってきて「河童といえども生き物だから殺してはならない」と人々をいさめた。僧侶は岩に文字を刻んで淵まで持って行き「この岩の文字が消えたら何をしてもよい。消える前に人に悪さをしたら淵の水がかれてしまうぞ」と言いながら岩を淵に投げ込んだ。それから河童は文字を指でなぞって消そうとするが、太くなるばかりで消えることはなかった。とうとうあきらめて大宮の淵から逃げて行った。

 
◆ひょうすぼと金丸どん(宮崎県)
 神官の金丸どんが橋を歩いていると、ひょうすぼが現れて悪い大蛇に苦しめられていると訴えた。ひょうすぼには沢山の子供がいたが、大蛇が一匹ずつ食べてしまい、今では最後の一匹になっていた。

 そこで金丸どんが大蛇をまちうけて刀で退治すると、ひょうすぼは大喜びして、今後は金丸どんの子孫に悪さをしないと約束した。

 それからというもの、この地方の子供たちは、川で遊ぶときに「ひょうすぼ、ひょうすぼ、金丸どんの一党じゃ、わるさすんなよ」と唱える。

 
◆ひょうすぼの遠征(宮崎県)
 むかし日向の延岡に、有馬直純という殿さまの家来で八左衛門という者がいた。島原の乱の帰りに肥前有馬の蓮池を見に行ったところ、ひょうすぼが甲羅干しをするのを見て刀で斬りつけた。

 ひょうすぼは水に落ちて姿を消したが、八左衛門が延岡へ帰ってしばらくすると、あのときの怨みをはらしに来たと再び八左衛門の前に姿を表した。四十五里もの川を上ってやってくるとはあっぱれなりと、八左衛門はひょうすぼと真剣勝負をすることになるが、家族にはひょうすぼの姿が見えず、八左衛門ひとりが刀をふりまわしているように見えた。

 結局その日は勝負がつかず、続きはまた明日ということになったが、話を聞いた殿さまがおもしろがって家来に命じ、ひょうすぼが逃げないように八左衛門の家をとりかこんだところ、ひょうすぼは現れなかった。

 その夜、八左衛門の夢枕にひょうすぼが立って「殿さまが邪魔をするので勝負をつけられない。あきらめて有馬に帰る」と言い残した。殿さまはそれでもお喜びになって、八左衛門にはますます武芸に励むようにとおっしゃった。


◆河童のお礼参り(宮崎県)
 ある女が結婚して片輪の子を産んだ。女は泣く泣く子供を川に流した。その子は死なずに河太郎(がわたろう)になって、それでも母親を忘れずに川でとった魚を届けに来た。ある日、母親がかまどに包丁を置き忘れたら、河太郎は驚いて逃げた。それっきり二度と姿を見せなかった。河太郎は金属が苦手だと言われている。 

 
◆河童の魔よけ(宮崎県)
 坊さんが橋を渡っていると川辺で河太郎(がわたろう:河童)が豆腐を取り合っているのが見えた。いたずら心をおこした坊さんは石を投げて豆腐を砕いてしまった。怒った河太郎が大水を呼んだので、橋が水に沈んで通れない。困った坊さんは豆腐に包丁をさしたのを持って来ると水が引いた。河太郎は金属が苦手だと言われている。それからと言うもの、人は河を渡る時、豆腐に針を刺したのを持って行くようになった。
 

◆こぼれ話◆

河童の性質

・相撲好き。よく人間を相撲に誘う。
・子供や旅人を川に引きずり込む。
・鉄とソバ団子が嫌い。(鹿児島県)
・アワビの貝殻が嫌い。(鹿児島県)←メタリックカラーだから?
・頭の皿が乾くと力が出ない。
・川辺につながれている馬にいたずらをしたり、川に引き込んだりする。
・夜中に馬屋に入り込んで馬を乗りまわす。尻尾をむすぶ。
・河童の腕は引っ張ると簡単に抜ける。よく見るとわらしべで作ってある。
・河童の首や腕は切っても簡単につなぐことができる。
・河童は切られた手や首をつなぐための傷薬を持っている。
・馬糞が好きで家畜の尻に手をつっこむ。(群馬県)
・人の尻から入ってはらわたを食べようとする。(群馬県)
・尻子玉を抜こうとする。
・王様がいて全国の河童から年貢を集めている。一年に百個の人の肝(天草)

 
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