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浦島太郎伝説(相模編) |
太郎の父が葬られた場所?
日蓮宗蓮法寺 神奈川県横浜市神奈川区七島町21 国道1号線沿いにある 最寄りの駅は京急子安駅 [google地図で確認] 浦島父子供養塔、浦島伝説にまつわる歌碑などがある。 浦島太郎の父は相模国三浦の生まれで故郷に近い白幡の峯に葬られたと言われてます。 竜宮からもどった太郎は父の墓を訪ねてこの地にたどり着き、庵(いおり)をむすんで父の御霊を供養しました。 その庵は帰国山浦島院観福寿寺というお寺になりましたが、1868年(慶応4年=明治元年)神奈川宿の大火で焼けてしまいました。蓮法寺は観福寿寺の跡地に大正末期に建てられたものだそうです。 その火事の時に、お寺の由来書は焼けてしまいましたが、『江戸名所図絵』や『金川砂子』という昔の観光案内に浦島太郎伝説ゆかりのお寺であることが記録されているそうです。 本堂には七面大明神(吉祥天女)が祀られています。この神様は法華経に出てくる竜女と同じものだとも言われていまして、つまり竜宮ゆかりの神様ってこと。 ちなみに、七面といっても顔が七つあるわけじゃなさそうです。七面山に住んでいることや、鬼門(東北)以外の七つの方角と関係していることからついた名前らしいです。 境内には浦島父子の供養塔もあります(下の写真)。いつごろ作られたものか定かじゃありませんが、かなり古い時代のものみたいですよ。
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浦島父子の供養塔:まんなかに亀の石像がある。 | 亀の石像:近寄ってみるとこんな感じ。ここの亀は顔がリアル。でも甲羅が高く盛り上がってたり手足が短くて爪があるところをみると海亀じゃなく陸亀のつもりかもしれない。 |
その水は今も尽きない
浦島太郎の足洗井戸 神奈川県横浜市神奈川区子安通1-184 最寄りの駅は京急子安駅 [Yahoo地図で確認] 太郎が足を洗うのに使った井戸。入江川に近い路地にある。近くに井川湯という風呂屋があるが、井川湯となりにある井戸ではなく、その近くにある別の井戸。 子安駅の近くに、子安通という地名があります。単純な通りの名前ではなく広範囲にわたる町名です。 子安通一丁目に浦島太郎が足を洗った井戸があるという話を前から聞いていたのですが、詳細な場所がわからなくて少しばかり苦労しました。しかし地元古老の証言により、右の写真の井戸こそ浦島太郎の足洗井戸であると判明しました(ほんとか?)。 井戸のまわりにはなんの説明もなく、蓋や手押しポンプは新しいものですが、井戸自体はそれなりに古いものだということでした。このあたりにはこうした井戸が防災用にいくつも残されており「井戸はほかにもあるけど太郎ゆかりの井戸はここ。見学者もたまに来るよ」と古老が太鼓判を押していました。 神奈川県の浦島伝説は、一般に知られている昔話のストーリーとは少し違うものです。それは、『御伽草子』に収録されている話により近いもので、丹後国で生まれた太郎は、住の江(大阪湾)で漁師をしていましたが、亀を助けたことで竜宮城に招かれました。竜宮で三年をすごして陸に戻ると、見慣れた村も人もなく、仕方なく父親の故郷である相模国(神奈川)にやってきましたが、そこで自分の身寄りが数百年前に死に絶えてしまっていることを知ります。孤独を感じた太郎は鶴になり、竜宮へ帰って行きました。それ以来、太郎と乙姫様は、相模国の守り神になったと言われています。 太郎が子安通にやってきたのは、あくまでお父さんの故郷を訪ねて来たわけです。そんなに長いこと滞在していたわけではないでしょう。ここで足を洗ったことがあったとしても、ほんの何日かのことだったかもしれませんね。 ※浦島太郎の足洗い井戸は、子安中浜というところにあるという情報も。ここじゃないのを見たことがあるという人は是非お知らせください。メールアドレスはトップページから探してくださいね。 検索用:浦島太郎の足洗い井戸 あしあらいいど 足あらい井戸 浦島太郎の井戸 子安通 |
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竜宮から持ち帰った観音像?!
浄土宗慶運寺 神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町18-2 JR東神奈川駅または 京急仲木戸駅から徒歩数分 [Yahoo地図で確認] 浦島太郎が玉手箱とともに竜宮から持ち帰った観音像を祀るお寺。 浦島太郎といえば竜宮から玉手箱を持ち帰ったことになってる。でも、相模国(神奈川県)に伝わる浦島伝説では、玉手箱のほかに聖観音像を持ち帰ったことになってるそうです。 その観音様は、太郎が最初に庵をむすんだ観福寿寺にあったのですが、寺が火事で焼けてしまったために慶運寺に移されたということです。木造の観音様だそうですが、普段は公開されていません。 この寺で見るべきものは、やっぱり門前の「浦島寺碑」でしょうか。太郎が助けた亀をかたどったものだと思いますが、なんとびっくり、亀なのに耳がついてる。だまって見せられたら亀じゃなく狸に見えてしまいそう。 そういえば、いつだったか城ヶ島に遊びに行った時、お土産屋さんで妙な置物を見ました。胴体が円く、頭には獣の耳があり、ふさふさしたシッポが生えてます。パッと見て分福茶釜の狸だと思ったんですけど、あれは群馬県館林の伝説ですし、三浦半島の先にある城ヶ島で茶釜狸を売ってるのはどう考えてもおっかしいんです。 その時は、土産物なんてエエカゲンなものだからと、あまり深く考えずにいたのですが、今思うとあれは浦島太郎を竜宮に導いた亀の置物だったのではないかと思うんです。 伝説によれば太郎の父である浦島太夫は三浦の生まれですから、城ヶ島も浦島伝説ゆかりの土地と言えそうです。ああ、そうとわかっていたら、買わないまでも写真とっておけばよかった〜。 それにしても、なんで亀に耳ついてるんでしょうね?? このお寺で見るべきものはもうひとつ。浦島父子塔と呼ばれているものです(下の写真)。父・浦島太夫、子・浦島太良と刻まれており、古い時代には太郎ではなく、太良と呼ばれていたことがわかります。 浦島太郎伝説のもっとも古い記録は『日本書紀』雄略天皇の二十二年七月のものですが、ここでは「浦嶋の子」とあるだけで、名前は出てきません。おそらく太郎という名前はずっと後の時代につけられたものだと思います。 ところで、この浦島父子塔には「勅願所」と大きく刻まれているのも見逃せません。勅願所というのは天皇の命令で大事なことを祈願しているお寺や神社のことで、それ自体は不思議じゃないんですけど、勅願所という文字の右上に小さく天皇の名前が刻まれているんです。下からで見にくかったのですが、どうやら淳和天皇と書いてあるようです。 ※勅願所の上の文字が見にくくて、ちゃんと確認できなかったのが残念です。ホントは何が書いてあるのか知ってる方はメールください。メールアドレスはトップページから探してください。おねがいします。 淳和天皇というのは浦島伝説と深いかかわりのある人です。先に書いたとおり、太郎の父である浦島太夫は相模国三浦の生まれですが、太郎自身は父が丹後国(京都北部)に移住してから生まれたので京都の人でした。 京都には宇良神社(浦島神社)という太郎ゆかりの神社がありまして、この神社の由来によれば、太郎が亀に連れられて異界に行ったのは雄略天皇(在位456 - 479年)の時代で、それから約三百年後の淳和天皇(在位823 - 833年)の時代に帰ってきました。宇良神社も淳和天皇の勅命で建てられたと言われています。 ここが昔から浦島伝説の舞台として知られていたのなら、勅願所だったとしても不思議じゃないんですけど、昔の人とはいえ、いちおう天皇の名前なのに、まるで余白にあとから刻んだように小さく刻まれているのが妙な気がしました。 偉い人の名前をそんな目立たない状態で刻んじゃっていいものなんでしょうか。最初からそこに刻まれていたのなら、もっと全体のバランスを見て刻めばよさそうなのに、なんだかアヤシゲじゃないですか? ひょっとして、話題作りにあとから刻んだんじゃないかなあ、なんてことをチラッと考えました。後からっていったって、だいぶ昔のことなんでしょうけどね。 |
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浦島父子塔:手前の面に大きく刻まれているのは「勅願所」の文字。その右上に小さく天皇の名前が刻まれているんだけど、尊い人の名前をこんな小さくオマケみたいに刻んでいいの? | 浦島父子塔:これは別の面から見たもの。父の名は浦島太夫、子は浦島太良とある。 |
太郎の涙石がある?!
浄土宗成仏寺 神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町10-10 JR東神奈川駅または 京急仲木戸駅から徒歩数分 慶運寺のすぐそば [Yahoo地図で確認] 太郎が涙を落としたといわれる石がある。 さて、今回の目玉、浦島太郎の涙石があるお寺にやってきました。 涙石のことを初めて読んだのは、神奈川県の伝説を集めた子供用の読み物でした。それによれば、世間一般に知られている浦島太郎の話には続きがあり、竜宮からもどった太郎は浜辺で大きな岩をみつけて、その上で泣いたというのです。 岩の大きさはおよそ千貫、約 3750kg の巨大な岩だということでした。この岩は、嵐の前に水気もないのにひとりでにぬれるというので浪石と呼ばれ、後に浦島太郎の涙石と呼ばれるようになり、現在でも横浜市の成仏寺に実在していると話は続きます。 そのような大きな岩なら、行けばすぐにわかるだろうと思ったのですが、成仏寺はすぐにみつかったものの、寺のどこをさがしてもそれっぽいものはありません。 しいていえば、波に洗われたような変わったかたちの石がいくつかあるんですけど(右「涙石?」の写真)、どれも小さくて千貫の大岩にはとても見えないのです。 お寺の人がいれば聞いてみようと思ったのですが、それらしい人もいなかったので今回はあきらめました。 帰宅してからネット上を検索してみたところ、変な形の石を涙石として紹介しているサイトをみつけたので、どうやら目的のものは見られたようなんですけど、期待してたものと違うので消化不良ぎみです。
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これは史跡でもなんでもない、道ばたのポールだけど… | よく見ると柱頭が亀になってる。ちょっとかわいい! |
横浜市神奈川区には、このほかにも浦島太郎伝説ゆかりの地がいくつかあります。
子安駅近くの足洗川跡
亀住町公民館前の浦島地蔵
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亀住町公民館:神奈川新町の駅を出て、京急の線路を渡ってから、線路沿いを子安の方角にあるいてゆくと、そこは亀住町。それほど広い範囲ではないし、地元の人に聞けば公民館の場所はすぐわかると思う。地図でいうと、たぶんこのへん。 | 浦島地蔵?:亀住町公民館の庭にあるお地蔵さん。由来書きもなく、本当にこれが浦島地蔵なのかさえわかりませんでした。 |
珍獣様の語り部屋・太郎関連リンク
浦島太郎(全国的に知られてる形の話) 浪石(浦島太郎の涙石…相模国版の浦島太郎) |
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