|語り部屋|珍獣の館|山海経|博物誌|直前に見たページ| |
縛られ地蔵(東京都) |
地蔵を縛ると願いがかなう?
天台宗業平山東泉寺南蔵院 東京都葛飾区東水元2-28-25 JR/京成金町駅から徒歩 20 分 京成バス [google地図で確認] 大岡裁きで有名な縛られ地蔵が安置されている。金町駅から散歩気分で歩いてもいいし、駅南口から(京成バス戸ヶ崎操車場行き)に乗って「しばられ地蔵」で下車すれば近い。昔、ここのバス停が「地蔵前」という名前だったような気がするんだけれど、今は「しばられ地蔵」になってるみたい。 江戸の名奉行 大岡越前のことなら時代劇にもなっているのでしっている人は多いですよね。奉行というのは今でいえば裁判官のような役目の人です。弱きを助け、罪を憎み、公平で厳しく、それでいて温情にあふれた裁きをするえらい人だったということです。 その大岡様の名裁きの中に「縛られ地蔵」という話があります。
季節は夏だったと記録されています。境内のイチョウの木が気持ちのよい木陰を作っています。ここらで一休みさせてもらおうかと、手代は荷車をかたわらに置き、木陰で弁当を開いて食べはじめました。 腹もいっぱいになると眠気がおそってきます。ほんの少しのつもりで寝入ってしまった手代は目が覚めてびっくり。大事な反物を積んだ車がなくなっているではありませんか。慌てた手代は番所(交番のようなところ)へ飛び込んで「泥棒だ。反物を盗まれた!」と訴え出ました。 この事件は名奉行の大岡様が直々にとりしらべることとなりましたが、目撃者もなく、手がかりはまったくありません。そこで御奉行様は
地蔵をしょっぴいて行くというんですから沿道の人たちはもうビックリ。いくらなんでも石の地蔵に責任をとらせようなんて、大岡様はいったい何をお考えなんだろうと、江戸中の野次馬が地蔵の後をくっついて歩き、ついには奉行所までついていってしまいました。 そこで大岡様は奉行所の門を閉めさせ、恐い顔をして一喝。
科料というのは罰金のことです。集まった人たちは慌てて奉行所を出ていき、その日のうちに反物を買って戻ってきました。手代がその反物をひとつひとつ調べると、盗まれた品が混じっているではありませんか。大岡様はさっそく反物の入手経路を調べ、当時江戸市中を荒らしていた盗賊団を一網打尽にしたということです。 事件を解決し、盗賊団をひっとらえることができたのは、すべて地蔵の霊験のおかげということで、大岡様は立派なお堂をたて、盛大な縄解き供養を行いました。それからというもの、縛られ地蔵は盗難除けに御利益があると評判になり、足止め、厄除け、「縛る」ということから縁結びまで、あらゆる願い事を聞いてくださるお地蔵様になったということです。 縛られ地蔵のある南蔵院は大正時代に震災にあい、昭和 4 年(1929年)に現在の葛飾区水元に移転しました。大岡様がしょっぴいた地蔵は今も元気に縛られています。 地蔵堂の裏手にある小さな庭園に水琴窟があります。まだ体験していない人はぜひやってみてください。地面に小さな穴があって、ひしゃくで水を少しずつ垂らすと、地下から金属的な涼しい音が聞こえてきます。 水元公園も近いので、帰りは公園でお弁当なんか食べると楽しいかもしれません。4 月は桜、桜が終わるとハナミズキ、6 月は花菖蒲が咲きみだれる公園です。(ホントいうと植栽より野草や昆虫や野鳥を見たほうが楽しい野生の王国だったりするんですけどね) |
|
結びだるま:大晦日・元旦の縄解き供養の日には「結びだるま」を売る市も立つらしい(まだ見たことないんだよ)。縁起だるまの左目にお地蔵様の種字(梵字でハ(カ)と発音する文字)を書き込んで、腹のところに荒縄を結んだものだそうです。
2004年大晦日。縄解き供養を見に行きました。レポートはこちら。 |
太子堂:なぜか聖徳太子をお祀りするお堂まであったりする。夢殿と同じく六角形の建物である。 |
珍獣様の語り部屋・しばられ地蔵と大岡越前関連リンク
大岡裁き(一)子争い 大岡裁き(二)縛られ地蔵 これらの話は、実際のところ、大岡越前とはなんの関係もない故事をもとにした創作ばかりだそうです。地蔵を取り調べて盗人をみつける話は日本のもっと古い時代のお裁きの逸話として残っていますし、それどころか中国の古典に似た話があるということです。 |
|語り部屋|珍獣の館|山海経|博物誌|直前に見たページ| |
|