鹿蜀 ロクショク
鹿蜀
 獣がいる、そのかたちは馬のようで白い首、その模様は虎のようで赤い尾、その声はうたうよう。その名は鹿蜀。これを持ち歩くと子宝にめぐまれる。(南山経一の巻)--004

絵・文とも『山海経』より

 
 

 トラ模様というのは縞があるという意味だと思う。シマのあるウマといえばアフリカに棲むシマウマを連想してしまうのが人情だ。
 
 しかし、中国にシマウマがいたとは思えない。もし、古代中国人がその存在を知っていたとすれば、西方の国々を通じて、エジプトやギリシア・ローマあたりから伝え聞いた情報だと考えられる。

 では、エジプト人やギリシア・ローマ人がシマウマを知っていたかというと、これまた疑問である。

 あれだけインパクトの強い動物だから、存在を知っていたら必ず誰かが記録しているはずなのだ。

 だが、古代エジプトの遺跡にはウマの壁画やレリーフはあっても、シマのあるウマは見かけない。プリニウスの『博物誌』にもシマウマについての記述はない。

グラントシマウマ グラントシマウマ
 スーダンあたりの草原で、群を作って暮らす。
 グランシマウマなのだとばかり思っていたら、英語で書くとGrant's Zebraで、グランさんのシマウマなのだそうな。

 現在シマウマの仲間はアフリカの南の方に棲息している。ひょっとするとエジプト人も、ギリシア・ローマ人も、シマウマの存在をしらなかったのかもしれない。

 こうなると、中国人がシマウマの存在を知っていた可能性は消える。身近な存在であるウマとトラのイメージが重なってできた空想の産物とするのが適当だろうか。

 古代中国では、トラは恐れられていた反面、権力を象徴する特別な生き物だった。また、武将たちにとっては良いウマを持つことがステイタスでもあったろうから、トラのような縞を持つウマが現れたとなれば天空に龍が現れたというくらいの吉事にさえ感じただろう。

 
 
 
キチリョウ
吉量

 模様のある馬がいる。白い縞のある体で朱い鬣(たてがみ)、目は黄金のよう。名を吉量といって、これに乗れば寿命千年という。(海内北経)--595

『山海経』より

 
 
 原文では「有文馬縞身」とある。その馬は模様があり「縞身」だというのだが、郭璞はこの部分を「縞のように白い」と説明している。実は、縞という字をストライプの意味にもちいているのは日本だけで、本来は白い絹の意味だという。

 全体に白く、それでいて模様のある馬で、たてがみが赤く、目が黄金。想像するだけでドキドキするような色合いだ。この神々しい馬の伝説は『周書』や『六韜』『尚書大伝』などという本にも記録されている。

 犬戎(異民族の名前)は模様のある馬を献上した。赤い鬣で白い体。目は黄金のよう。吉黄の乗馬と名づけられる。(『周書』より)

 模様のある体に赤い鬣。目は黄金のようで、うなじは鶏の尾のよう。鶏斯の乗馬と名づけられる。(『六韜』より)

 色のまじった毛色で赤い鬣、鶏のような目。(『尚書大伝』より)

 『山海経』でも吉量の直前で犬戎国という異民族の話をしている。異民族から不思議な生き物が献上されることはよくあったのだろう。どの本の記述でも目に特徴があると書かれているので、単なる白馬ではなくアルビノのような体色異常の馬なのかもしれない。
 
 
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