水中の馬
 
 
 すでに紹介したボツバもそうだが、『山海経』にはどういうわけか水中に棲む馬が多く登場する。
 
 
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 スイバ
水馬

 水中に水馬が多く、そのかたちは馬ようで、文様のある前足とウシの尾を持ち、人が叫ぶような声で鳴く。(北山経一の巻)--125
 

文は『山海経』より
  
 
 中国には、水中からウマが現れる伝説がいくつかある。

 郭璞は、漢の武帝のころ、元狩四年(紀元前119年)に、川からウマが現れた(馬生渥[水圭]水中)という『漢書』の記述をあげて、水馬もこの仲間だろうと言っている。また同じ『漢書』には「馬生余吾水中」ともある。余吾という川(オルドス砂漠を流れる川)から馬が出てきたというのだ。

 文字どおり川から馬が現れたとしたら奇異な出来事かもしれないが、川辺で野生の馬をみつけたとすればさして不思議な出来事ではない。

 しかし、水馬は「牛の尾」を持ち、「前足に文様」があるという。単なる野生馬として片づけたのでは面白くはない。

 
 
 水中にいる馬で、しかも牛の尾を持つといえば、そのものずばりカバがいる。カバは漢字でも河馬と書くが、学名でもカバ属のことをヒポポタムス Hippopotamus という。ヒポが馬で、ポタムが川だ。

 遠くエジプトでは国王がカバ狩りをたしなみ、一部の地域ではカバを神としてあがめてもいた。

 紀元前 5 世紀、ギリシアの歴史家ヘロドトスによればカバは「四つ足で雄牛のような双蹄で、獅子鼻で馬のたてがみと尾を持ち、牙をむきだして馬のように鳴く。巨大な牛ほどの大きさで、皮膚が非常に厚く、乾燥すれば投槍の柄を作れるほど固くなる」と言う。

 また、ギリシアの博物学者プリニウス(紀元後 23〜79 年)はナイル川のカバについて「牛のように割れたひづめ、馬のような背中とたてがみ、いななくような声、獅子鼻、イノシシの尾、さほど恐ろしいものではないが曲がった牙があり、強い皮があって、この皮で作られた盾と兜は貫かれることはない。もっとも水に漬けるとだめだが」と書き残している。

 ヘロドトスもプリニウスも、実際にはカバを見たことがなかったのだろう。カバには馬のようなたてがみはないし、牛のような双蹄ともちがう。カバは牛と同じく偶蹄目の生き物だが、ひづめは 2 個ではなく 4 個である。

 しかし、このウソくさい記述には共通点が見られる。

・馬のよう
・馬のたてがみ
・牛の蹄(双蹄)
・牙がある
・イノシシの尾(プリニウスのみ)
・獅子鼻
・皮膚が硬い
・馬のように鳴く(いななく)

 両者とも、カバを馬のようだといい、牛のような蹄があるという。また、プリニウスはその尾がイノシシのようだとも言っている。

 これは「馬のようで牛の尾をもち、叫ぶように鳴く」という『山海経』の水馬と共通した特徴である。もっとも中国にはカバはいなかっただろうから、これだけで水馬の正体をカバとするのは乱暴な話である。

 しかし、プリニウスの『博物誌』には『山海経』に出てくる異形の民族とほぼ同じものが記録されているし(これについては改めてまとめたい)、西方の異民族を通じて何かしらの文化交流があったとも考えられる。

 だとすれば、水中から馬が出るという不思議な伝説の背景に、遠いアフリカの生き物の存在がまったくないとは言い切れない。
 

エジプトのカバ狩り エジプトのカバ狩り
 古代エジプトの王はカバ狩りを好み、自分の墓にカバ狩りの様子を刻ませた者もいた。どうやら葦船に乗って銛で突いたらしいが、あの巨大なカバを、そんな装備で倒せたなんてすごい。
 余談だが、間近で見るとカバの巨体はすごい。いつだったか上野動物園でカバを見ていたら、後ろで見ていたイタリア人と思われる家族が「オー ディーオ、マンマ ミーア!」と感慨深げにつぶやいていた。カバの巨体もさることながら、イタリア人がやはり熱いハートを持っているのを知って珍獣はとても感動した。そうだ、カバはでかいのだっ!
 
 
 
トウト    キョウキョウ
トウトと蛩蛩

 北海に獣がいる。そのかたちは馬のようで、名はトウト。白い獣がいる。かたちは馬のようで名前は蛩蛩。(海外北経)--538
 

文は『山海経』より
挿し絵はありません
 
 
 これまた水中の馬だ。一角獣のページで紹介した(はく)と同じ段落に登場するので、ひょっとしたら一角獣の仲間かもしれない。また、水馬と同じくカバのことかもしれない(ただしカバは海にはいないし、中国にはカバはいない)。

 また、漢方薬の材料に、その名も海馬という生き物がある。タツノオトシゴのことだ。英語でもシーホースなどというが、この馬面、まさに海の馬というのにふさわしい風貌をしている。
 

タツノオトシゴ タツノオトシゴ
 こんな奇妙な姿だがヨウジウオ科の立派な魚類。
 海草の茂った岸辺に棲んでいる。オスには腹に袋があって、メスがそのなかに卵を産み付ける。
 卵が孵化すると、オスは蛇のような尾で海草につかまって、きばってピュッと子供を「産む」。そのせいか、日本では乾燥させたタツノオトシゴを安産のお守りにする地方もある。
 
 中国最古の辞典である『爾雅』には「トウトは馬である」とある。清の畢元によれば「トウトはラクダである」というが、ラクダであるなら北海の内にと書かれる理由がよくわからない。

 同じ段落に出てくる蛩蛩について、郭璞は『穆天子伝』から「蛩蛩[金臣]虚である。いったん走れば千里を行く」という部分を引用している。『穆天子伝』は、穆王が西方で西王母と面会したことを描いた一種の小説なのだが、だとすればこれもラクダである可能性がある。乾いた土地で長距離を歩くことができるラクダの特徴を大げさに記録したものかもしれない。

 
 
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