攫如   カクジョ

 獣がいる。そのかたちは鹿のようで、白い尾、馬の足、人の手、四本角。名は攫如。(西山経一の巻)
 
 
 

絵・文とも『山海経』より

 
 
 
 本文には4本角とあるが、挿し絵は先で枝分かれした2本角になっている。角の謎はこれで解けたとしても、わからないのは人の手、馬の足だ。
 鹿は馬よりも牛に近い生き物なので、馬にはひとつしかないひづめが鹿にはふたつある。とはいえ、ぱっと見た感じは豚や象ほどかけ離れてはいないので、「ひづめがある」というのを「馬の足」と表現してもおかしくはなさそう。
 しかし、いくらなんでも人の手というのはどうだろうか。人の手の特徴は、指が長くて平爪、自由にものをつかめる……といったところだが、ひづめがあり角のある動物に、そういう特徴の手をもつ生き物はいない。

 ふと思い出したのは、マンティコラという西洋の吸血鬼のことだ。吸血鬼といっても黒いマントをひるがえして美女を襲いに来るドラキュラとは違う。もっと古い時代のもので、下の図(左)のような姿をしていた。
 攫如のように人の手をもち、角らしきものが生えている。その正体は何かの罪をおかした人が獣の皮をかぶせられて追放された姿ではないかと言われている。
 なるほど、獣の皮をかぶった人なら、人の手を持っていても当たり前だ。

マンティコラの古い図版 鹿の皮をかぶった人
マンティコラの古い図版(模写)と鹿の皮をかぶった人
 マンティコラは森に住むといわれる吸血鬼。紀元前5世紀くらいからその実在を信じられていた。ふつうは「人面で獅子の体、剣のような刺の生えた尾を持ち、その歯は三列にならんでいる」という姿で描かれることが多いが、古くは左図のように、人の手で人面の山羊のように描かれた。後足は鳥になっているが、攫如の特徴に通じるものがありそうだ。
 鹿の皮というと、罪人に着せるにはイメージがきれいすぎるので、何かの罰ではなく、シャーマンが儀式でこんなかっこうをしたのかもしれない。儀式に使うのなら、本物の毛皮ではなく張りぼての鹿頭をかぶったかもしれない。だとすれば、本当に角を4本くらいつけていたかもしれない。鹿にかぎらず、角は強さのあかしみたいなものだから、権威を強調するのに多めにくっつけていても不思議はないと思う。

 なお、攫如の「攫」は本来 けものへん だが、JIS文字ではないので てへん の「攫」で代用した。


 
音読み : カク
訓読み : おおざる

 大きなサル 親サルなどという意味。また、何かを手で打つ動作を表す文字である。タカやハヤブサなど、足で獲物を捕らえる猛禽類のことを 攫鳥と言うので、攫如もまた、手の器用なさまを表した名前なのかもしれない。


 
 角が4本ある鹿というと、こんなのもいる。

 
  フショ

 獣がいる。そのかたちは白鹿のようで四本角。名は夫諸といい、これが現れるとその地方に洪水がおこる。(中山経三の巻)
 
 
 
 
文は『山海経』より
挿し絵はありません
 
 
 鹿が洪水の前触れになるというと不思議な気がするが、もしこれが龍なら納得できそうな気がする。日本でも龍は天候を操る生き物として知られており、水源地には龍神をまつっているところが多い。『山海経』にも応竜という洪水を呼ぶ龍が登場する。 蚩尤という悪神が地上で大暴れしているので、黄帝という神が応竜を呼んで戦わせた。応竜というのは、どうやら天候をあやつる力を持っており、嵐を呼んで蚩尤を倒したが、力つきたのか天に帰ることができず、地上は旱になった。しかし、人々が応竜の姿をまねると雨が降りだしたという。また、力つきた応竜は仕方なく南方に住み着くことにした。そのため、南のほうには雨が多いのだ。 応竜がどんな姿をしていたか『山海経』には記述はないが、おそらく龍神なのだろう。そして、龍は頭に鹿の角を持っているのだ。鹿は姿の美しさや立派な角のイメージからか、高貴な人、権力のある人の象徴だ。天候をあやつる生き物の頭に鹿の角があるのはそのせいだろう。
 夫諸は龍の姿こそしていないが、龍とおなじく天候をあやつる力をもつ神だったのかもしれない。
 

 ところで、4本角の生き物というと実在しないようにも思えるが、羊の怪としてすでに書いたマンクス・ログタン種やヤコブ種という古い品種の羊には4本角の個体がいる。
 また、インドに棲息するヨツヅノレイヨウ(ウシ科)は、鹿に似ていて角が4本ある。

 
 
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