天狗   テンコウ
天狗
 獣がいる、そのかたちは狸のようで、白い首、名は天狗。その声は榴榴(未詳)のよう。凶をふせぐのによい。(西山経三の巻)
 
 

絵・文とも『山海経』より


 
 天狗というと、彦市さんのとんち話に出てくるような、赤ら顔で鼻が高い山伏姿の怪人を思い出すだろうか。それとも、カラスのようなくちばしと翼を持って空を飛ぶ烏天狗?
 しかし、天狗という文字をよく見てほしい。「天の狗(いぬ)」なのだ。もともとは、轟音とともに空から落ちてくる狗のような生き物のことだった。
 流れ星のうち音がするものを天狗というが、これは流れ星が落ちたところには狗のような生き物がいるからである。(史書・漢書)

 舒明天皇の九年(六三七年)、大きな星が東から西に流れた。すぐに雷のような音がして、人々は流れ星の音だといい、また雷だといった。ある僧によれば「これは流れ星ではなく天狗(あまつきつね)というもので雷鳴のような声で鳴く」のだという。(日本書紀)

 『山海経』の天狗(テンコウ)の説明には、空から落ちてくるという特徴は記されていないが、やはり空から落ちてくる生き物のことだろう。

 たいていの流れ星は音も立てずに燃え尽きてしまうが、高速で大気圏につっこんでくるものは大変明るく燃え、まれに音をたてるものがある。1998年11月のしし座流星群でも夜明け前に巨大な火球が観測された。珍獣の家来のひとりが言うには、「パチッとかパッとか弾けるみたいな音が遠くでした感じ」だそうで、またある人がいうには「しゅぼぼぼっ」という音だったとか。残念ながら珍獣は火球が出る前に寝てしまったのでこの時の音は聞いていないが、とにかく流星が音をたてるということは確かにあるのだ。
 そういった稀な現象を、天から落ちる獣のしわざと考えたのだろうか。


 
 
 リョウキョ
梁渠
 獣がいる、そのかたちは狸のようで白い首、虎の爪、名は梁渠。これが現れるとその国に大戦がおこる。(中山経十一の巻)
『山海経』より

 
 こちらも狸のようで白い首とある。さらに虎の爪という特徴が加わった。
 天狗は凶をふせぎ、梁渠は大戦の前触れ。効果が逆のような気もするが、もし流星だとすれば、場合によって吉兆とも凶兆とも判断されたのだと思う。

 空から音をともなって落ちてくる獣に雷獣というのがある。こちらは名前の通り落雷とともに落ちてきて、木の幹などに鋭い爪痕を残すという。『山海経』には雷獣そのものは出てこないが、「キという一本足の牛のような生き物の皮でつくった太鼓を雷獣の骨で叩いた」という記録が大荒東経に出てくる。
 これは、テンなど木のうろなどに住んでいる生き物が、落雷に驚いて逃げ出す時に残した爪痕を雷獣のものとしたという説がある。あるいは、熊などがつけた爪痕を落雷のあとに偶然発見して「雷獣の爪痕」だと騒いだのかもしれない。

 梁渠が、雷獣なのか、それとも天つ狗なのか、『山海経』の本文からは判断できない。しかし、雷獣も天狗も、もともと同じものとはいえないだろうか。乗ってくるものが星なのか、雷なのかという違いはあっても、どちらも音をたてて天から落ちてくる獣なのだ。


 
 
  シロウ
シ狼
 獣がいる、そのかたちは狐のようで白い尾、長い耳、名はシロウ。これが現れると国内に戦がおこる。(中山経九の巻)
『山海経』より

 
 この生き物の説明だけを見ていたときは、ただの白狐だろうと思った。突然変異で白い狐が生まれることはあるだろうし、珍しい毛色の生き物を悪いことの(あるいは特別に良いことの)前兆と見るのはありがちのことだろうし……
 しかし、「何かの前兆として現れる狗」として、天狗や梁渠の仲間に分類してみたら、このシロウという生き物に新しい面が見えたような気がした。この生き物も、おそらくは夜空を横切る星なのだと思う。白い尾、長い耳というのは尾を引いて流れる流星のイメージではないだろうか?
 流れ星と一口にいっても、一瞬ぴゅっと流れる短いものもあれば、夜空を一瞬で横切ってゆくような長いものもある。珍獣は一度だけ、南から北へ夜空を切り裂くように横切る大きな流れ星を見たことがあるが、あんな大きな流れ星なら「白い尾を持った天の狐」と呼びたくなる。

 それとも、単なる流星ではなく、彗星を天かける狐と見たのかもしれない。彗星は地球や火星などと同じく太陽をまわる惑星の仲間だが、その実体は巨大な氷の玉で、太陽に近づくと氷が溶けて、「白く長い尾」を引いて見える。


 
 
 テンケン
天犬
 赤い犬がいる、名は天犬、それが(天から)下るところ(国)に兵乱おこる。(大荒西経)
『山海経』より

 
 今度は赤い犬で、やはり兵乱(戦い)の前兆である。しかも「下るところに」と、空から降りてくるという特徴が書かれている。「天犬」という名前も「天狗」とほぼ同じ意味だ。やはり流星か雷にのって落ちてくる獣の仲間だろう。

 
 なお、『山海経』には日本で言う烏天狗に似たものも登場するが、それはまた別の機会に。
 
 
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