一本足の牛

 
キ
 キ
キ
 頂上に獣がいる、かたちは牛のようで、身は蒼くて角がなく、一本足。これが水に出入するときは必ず風雨をともない、その光は日月のようで、その声は雷のよう。その名はキ。黄帝はこれをとらえてその皮で太鼓をつくり、雷獣の骨でたたいた。するとその声は五百里のかなたまで聞こえて、天下を驚かせたという。(大荒東経)--690
絵・文とも『山海経』より

 
 しばらく伝説寄りのネタばかりが続いたが、やっと生物寄りのお話にもどれそうである。

 それにしても、牛のようなのに角もなく、1本足で、雷のような声で鳴き、「水に出入りするとき」とあるので水棲動物だと思うのだが、文字通りにとれば、こんな生き物いるわけがない。
 でも、「皮で太鼓をつくり」という部分に注目すると、誰でも知ってる生き物の姿がうかびあがる。それはワニである。
 

ヨウスコウワニ ヨウスコウワニ
 中国にもワニはいる。ヨウスコウワニといって、体長2メートルくらいの小型ワニである。

 関連項目
  その他の爬虫類


 
 ワニのどこが牛に似ているかというと、姿はちっとも似ていない。が、牛もワニも、皮で太鼓を作るという点で一致している。昔から鰐の皮は太鼓の材料として珍重されていた。蛇足だが(いや、この場合は鰐角とでも書くべきか?)、現代でも牛皮は鞄の材料になり、ワニ皮はバッグの材料になる。牛とワニは利用法がよく似ているのだ。
 当然のことだがワニだから角はない。そして水にすむ生き物だ。鳴き声が雷鳴に似ているかというと難しい問題だが、古来より雷の神は太鼓をもっていることからもわかるように、雷のゴロゴロいう音は太鼓を連打する音にたとえられる。ワニ皮の太鼓は、たぶん雷のように鳴ることだろう。

 「水に出入りするときは風雨をともない」とあるのは、ワニ皮の太鼓が雷の音に似ていることからの連想であろうし、実際に雨乞いの儀式につかわれていたのかもしれない。「光は日月のよう」とあるのは、ワニが風雨をあやつる神(もしくはそのお使い)と考えられていたからだと思う。『山海経』には神が姿を現すときに光をはなつと書かれている部分がたくさんある。あるいは、光沢のあるワニ皮を見て、生きているときはもっと輝いていたと想像したのかもしれない。

 問題は「一本足」である。ワニには足がちゃんと 4 本あるじゃないか。
 でも、実際にワニを見たことのない人が、剥がれた皮だけを見てもとの動物を想像したとして、太鼓の材料だからと、牛のような動物を想像していたとしたら、体に対して短すぎるワニの足より、長い尻尾の皮に注目して、足だと思うのではないか? そもそも、動物の皮をはぐとき、利用価値の低い足の皮までていねいにはぐとは思えないので(剥製にするなら別だが)、太鼓職人の手にとどくものには足はついてこなかったんじゃないかと思うのだ。

 なお、キ皮の太鼓を「雷獣の骨でたたいた」とあるが、雷獣というのは雷と一緒に落ちてくる獣のことだ。


 
 
 キギュウ
キ牛(中山経九の巻に2回)--383,385

 
 説明はなく、名前だけ登場する。文字が一緒なので、大荒東経のキと同じものだろう。

 もっとも、『山海経』に注をつけたので有名な晋の郭璞によれば

 蜀に大牛がいる。重さは数千斤。名はキ牛。『爾雅』では魏となっている。晋の時代、大興元年にこの牛が上庸郡に現れた。人々が矢を放って殺し、三十八担の肉をとった。
ということなので、ジ牛の別名とも考えられる。魏とは大きいという意味である。

 

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