九尾狐 キュウビコ
九尾狐

 獣がいる、そのかたちは狐のようで九つの尾、その声は嬰児のよう、よく人を食う。これを食べた者は邪気におそわれなくなる。(南山経一の巻)

 青丘国はその北にあり、その狐は四つの足で九つの尾。(海外東経)

 青丘の国あり、九尾の狐がいる。(大荒東経)
 

絵・文とも『山海経』より

 
リョウシツ
リョウシツ
テツ
(姪)
 獣がいる、そのかたちは狐のようで九つの尾、九つの首、虎の爪、名はリョウシツ(リョウテツ)。その声は嬰児のよう、これは人食いである。(東山経二の巻)
 
絵・文とも『山海経』より
リョウシツ(リョウテツ)

 
 『山海経』にはリョウシツと同じ字を書く別の生き物も登場するが、あちらは角のある豚なので、まるで別の生き物である。

 ここで取り上げるのは尾が9本の狐である。リョウシツに至っては、頭が9個もついている。
 当然のことながら、尾や頭が9個もある獣は実在しない。おそらく、化け物の威力の強さを視覚かするために、尻尾や頭をたくさんくっつけたのであろう。インドの神様に手足がたくさんついているのと同じことだ。

 ところで、狐という動物と人食いという特徴は、あまり似合わない気がする。西洋の昔話では、人食い野獣は狼で、狐は頭脳派のいたずら者だ。日本の昔話でも人を化かして道に迷わせたりはするものの、取って食われたという話はあまりなさそうだ。
 もちろん狐も肉食動物なのだが、彼らが獲物にするのは昆虫・鳥・兎や鼠などの小動物で、人を襲って食うほどの凶暴さはない。
 もしかしたら、ここでいう「狐」とは、なにか別の生き物ではないだろうか?

キタキツネ
キタキツネ(イヌ科)
 中国にたくさんいる狐はアカギツネといって、日本のキタキツネやホンドキツネときわめて近い生き物だ。狼とちがって群をつくらず、夫婦単位で生活しているので、そんなに大きな獲物は獲れないようだ。

 
 
 アジアに広く生息するイヌ科の生き物にドールというのがいる。大きさも姿形もキツネによく似ているが、性質はどちらかというと狼に近く、群をなして狩りをする。牛くらいなら集団で襲って倒すそうだ。こいつなら人食いになりうるかもしれない。
 また、ドールが群で行動するという点も見逃せない。家族を基本とした10匹前後の群を作り、とても統制のとれた高度な狩りをするのだという。
 リョウシツは尻尾だけでなく頭も9個あるが、もともと9匹分(つまり沢山ということ!)だとすれば計算は会うのだ。

 とはいえ、弱そうなアカギツネも、死人なら食べると思う。墓をあらしたり、行きだおれた旅人の屍肉をあさる様子を目撃され、人食いだと言われたのかも知れない。そうなるとキツネも候補からはずせない。

ドールドール(イヌ科)
 西アジアの草原地帯から中国・インド・東南アジアの森林地帯にかけて棲息。狐とちがうのは、鼻先が黒っぽいことだろうか。上野動物園やズーラシアに本物がいる。

 
茶吉尼天(お稲荷さん)  屍肉あさり系ならインドに住むゴールデンジャッカルも候補にあげたい。ジャッカルは狩りもするが、森の掃除屋としてのイメージが強く、よく死体をあさっている。そのためインド神話ではダーキニー(茶吉尼)という人食い女神様の使いっ走りを勤めているようだ。ダーキニーとジャッカルのコンビは仏教と一緒に日本にやってきて、お稲荷さんと狐に姿を変えて今日に至っている。

 

茶吉尼天(お稲荷さん)
 神社やお寺の片隅に、赤い鳥居が沢山並んでいる場所をよく見かけるが、その奧にある小さな祠にまつられているのがこのおばさ……じゃなくて、おねえさんだ。本場インドでは人肉を食いながら裸で踊り狂ったりしているが、日本ではこのとおり、優しい姿で描かれている(というのは表向きの姿で、実は左手に持ってる宝玉は人の腎臓(もしくは心臓)のかわりだし、右手の剣は人からもぎ取った手足のかわりなのです、ふふふ)。
 家来の狐は、お経の中では野干と書かれているらしく、もとはジャッカルのことだったとか。でも、ジャッカルのいない地方に伝えられてくるうちに狐に変化したらしい。

 
 なお、九尾狐といえば日本にも出現したという有名な妖怪だが、「妖怪の正体当て」というテーマからは離れてしまうので、ここでは取り上げない。いずれ機会があれば『山海経』に関係してそうな伝説を集めて別コンテンツを作ろうと思っている(思ってはいるけどなかなか手がまわらない…)。
 
 
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