その他の犬たち

 
コウ
 獣がいる、そのかたちは犬のようで豹の文、その角は牛のよう、その名は狡。その声は犬がほえるようで、これが現れるとその国は大いにみのる。(西山経三の巻)

 
 犬のようで角があるというと、古代エジプトのヒヒ神トートを思い出す。トートはマントヒヒなど、鼻面が長くて犬のように見える猿の姿をしていて、太陽円盤をかかえた牛の角を頂いた姿で描かれることが多い。しかし、豹柄のトート神なんて、あまり聞いたことはない。さすがに別物であろう。
 「狡」とは「ずるかしこい」という意味の文字なので、あまりおめでたい生き物のような気がしないが、なぜか豊作の前触れであるという。一体どういうことなのか、わけのわからない生き物のひとつだ。

 
ケイヘン
谿辺
 獣がいる、その形は狗のよう、名は谿辺。この皮を席にすれば悪気をよせつけない。(西山経一の巻)

 
 席にするというのは、敷物にするということだ。犬の毛皮をしいていれば魔除けになるということだろう。
 忠犬ハチ公を持ち出すまでもなく、犬の忠誠心は昔から知られていた。また、外敵が近づいてくると吠えてしらせることなどから、犬が魔除けになると信じられていたようだ。
 古代中国では王様が死ぬと兵士などを殉死させて同じ墓に葬っていたが、時には犬を一緒に埋めることもあったようだ。墓の主の愛犬だった場合もあるだろうが、魔除けとして埋められたケースも多いという。
 犬が邪気から守ってくれるという発想は『山海経』の時代からあったようだ。

 そうかと思えば邪悪なイメージの犬も登場する。


 
 トウ
トウ犬
 トウ犬は犬のようで青色。人食いで、首から(食べ)はじめる。(海内北経)

 
 青い獣なんて考えにくいことだが、馬の毛色と同じで艶やかな栗毛のことかもしれない。あるいは「緑の黒髪」というのと同じで、黒い毛色の光沢を青と表現しているのかもしれない。また、猫なら灰色がかった黒い毛をブルーと呼ぶこともある。そう考えると、「青い」というのは不自然な表現ではない。
 しかし、これだけでは手がかりが少なすぎて正体当ては難しい。人食いだというのだから飼い犬ではなく野犬か、ジャッカルや狼のようなイヌ科の野生動物かもしれないが。

 
イソク
イソク
 膜犬(未詳・西域の犬)のようで赤い喙、赤い目、白い尾、これが現れると邑(くに)に火災がおこる。名はイソク。(中山経十一の巻)

 
 これも邪悪な生き物だ。
 喙(くちさき)というのは顔から出っ張った鼻先のことだが、イヌ科の動物は、イヌ科の動物はふつう鼻先だけ黒くなることはあっても、赤(赤茶色?)になることはないと思う。目が赤いということは、アルビノかもしれないが、それなら尻尾だけ特に白いというのも変だ。
 やはり、手がかりが少なくてわからない。

 
 
カッタン
カッタン

(狙)
 狼のようで赤い首、鼠の目、その声は豚のよう、名はカッタン(カッソ)。これは人食いである。(東山経四の巻)

 
 首(頭)が赤いというのはともかく、鼠の目というのがよくわからない。
 ちなみに狼は犬に似ているがワンワンとは鳴かないそうだ。唸り声が豚のように聞こえたのかもしれない。

 1920年頃、インドの山奥で狼に育てられた少女が発見されたが、白日のもとにひっぱり出してみれば、あきらかに人の姿をしているにもかかわらず、近隣の村では怪物だといって本当に恐れていたようだ。
 古代では村から離れたところで大型の肉食動物に出会えば、食い殺されるのが当たり前だったのだろうと思う。恐い獣がいるという噂が先にたって、姿かたちはあとから付け加えられることも多いのだろう。


 
(大荒南経)

白い狼(西山経四の巻)


 
黒い狐 山の上には(中略)黒い狐----尾は蓬(おどろ)になっている。(海内経)

 
 蓬(おどろ)というのは、ボサボサに乱れていることだ。
 犬や猫は尻尾に感情が表れる。狐の場合はどうなのか確認したことはないが、やはり興奮すれば毛が逆立つのだろうか。

 
ダツ ケツ
獺(頡)
獣がいる、名前は獺、そのかたちは怒った犬のようで鱗があり、その毛はイノコの鬣のよう。(中山経四の巻)

川の中には…(中略)…頡が多い。(中山経十一の巻)

リン
リン
獣がいる、そのかたちは犬のようで虎の爪、甲をもつ、その名はリン。よくはねじゃれる。これを食べると風をおそれることがない。(中山経十一の巻)

 
 これらは 鱗のある獣たち として別にまとめた。
 
 
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