ショウジョウの絵(山海経) ショウジョウ
猩猩

 獣がいる。そのかたちは禺(さる)のようで、白い耳があり、伏して歩き、人のように走る。その名はショウジョウ。これを食べると良く走れるようになる。(南山経一の巻)--001

 ショウジョウは人の名を知る。この獣は豕(いのこ)のようで人面、帝俊を葬った地の西にいる。(海内南経)--562

 獣がいる。人面で、名は猩猩(しょうじょう)という。 (海内経)--797

文・絵とも『山海経』より


 
 ショウジョウといえば、猩々と書くのが普通だが、『山海経』では「けものへん+生」の字が主につかわれているが、ここでは片仮名でショウジョウと呼ぶことにする。

 ショウジョウは日本では能にもなるほど有名な生き物で、その姿についてはいくつかの異説がある。
 姿はサルのようだとも、ブタのようだとも、まれにイヌのような姿だとも言われる。その毛色は赤く(黄色いという説もある)髪の毛は長い。四足だとも後足で立って歩くともいい、知能は高くて人の言葉を理解する。

 巴蛇という大蛇に襲われて困っているゾウがショウジョウに通訳してもらって人間に助けを求めたという話がある。
 また、心の中で考えていることを読むことができるようで、日照りに悩む禹王のもとに現れて、王の名や悩みを言い当てた上に飢饉の乗り切り方を教えたことさえあった。

 そうかと思えば、それほど知能は高くなかったとも言われている。
 唐の時代の本によれば、ショウジョウを捕らえるには酒と、下駄のような歩きにくい履き物を用意するそうだ。ショウジョウは好物の酒を飲んでご機嫌になると、人間の真似をしたくなるのか下駄を履く。したたか酔っぱらってきた頃合いに捕まえれば簡単に捉えられるし、たまに逃げ出す奴がいても慣れない下駄をはいているので上手く走れずに捕まってしまう。


 
 中国ではオランウータンのことを猩々(しょうじょう)と呼んでいる。もちろんオランウータンは実在の生物だが、伝説のショウジョウとイメージが似ているからそう呼ばれているのかもしれない。あるいは、オランウータンがもでるになって、ショウジョウの伝説が生まれたのかもしれない。

 実際、オランウータンには伝説のショウジョウと重なる部分が多い。まず、オランウータンはサルっぽく、かつブタっぽい。子どものオランウータンは誰が見てもサルに見えるが、大人になると体型がでっぷりして、サルの軽快なイメージと遠くなる。まさかブタと見間違うとは思えないが、ブタのように肥えているといえそうだ。

子供のオランウータン子供のオランウータン
 まだ頬ダコが発達していないので猿っぽい。

 また、オランウータンはさりげない仕草がなんとも人くさく、ともすると立ち上がって話しかけてくるのではないかとさえ感じる。

 ある動物園で母親が育児を放棄したオランウータンの子供を、飼育係の人が自宅で育てていたことがあって、テレビでも何度か紹介されていた。

 飼育係氏にはちょうど3〜5歳の子供たちがいた。奇しくも人間の子供と一緒にそだつことになったわけだ。

 テレビでは、子供たちとオラン君がころげまわるように遊んでいるのを紹介していた。その様子は、一瞬どちらが人間なのかわからなくなるほどだった。

 オランウータンは、頭から肩にかけて長めの毛がマントのように生えている。伝説のショウジョウは髪の毛が長いとされるのはそのためだろう。この毛は大人になると濃い茶色になってしまうが、子供の頃は赤茶色で、毛色が赤いという説にも一致している。

 
 
 『山海経』によれば、ショウジョウは四つ足で歩き、立ち上がって走るとあるが、これはオランウータンの歩き方の特徴をよくとらえている。

 オランウータンは木の上で暮らす生き物だが、地上におりると四つ足で歩く。四つ足といっても犬や猫の歩き方とは違う。手の指を軽く曲げ、手のひら側か小指の外側を地面につける。ナックルウォークといってゴリラがよくやるのと同じ歩き方だ。

 また、オランウータンは後足で立ち上がって歩くこともある。腕を頭の上にあげて、よたよた歩くという。『山海経』に「人のように走る」とあるのは、オランウータンが後足で立って歩くことを言ったものだろう。


 先にのべたとおり、オランウータンは歩くのより木登りのほうが上手で、一日のほとんどを樹上で過ごす。
 そうなると古代中国人がオランウータンの歩き方の特徴を知っていたかどうか疑わしい。むしろ、オランウータンが木の枝に腰をおろしている様子や、手を自由に使う仕草から、人のように立って歩くと想像したという方が自然だろうか。

 しかし、オランウータンが現代でもペットとして珍重されるように、昔も飼われていたのではないかと思う。古代人はこの生き物の生態を、想像以上に知っていたのかもしれない。

 なお、オランウータンは絶滅の危機に貧しているので現在は飼うことが禁じられている。

大人のオランウータン 成熟したオスのオランウータン
 大人のオスにはこめかみから頬にかけて脂肪でできた頬ダコが発達する。
 メスは成長しても体重はせいぜい40Kgほどだが、大人のオスは平均体重70Kg、飼育下では200Kgにもなるそうだ。

 
☆ショウジョウと赤
 ショウジョウの酒好きにちなんで、発酵した果物や酒の匂いに集まる虫のこともショウジョウと言う。夏の終わりに腐った生ゴミに集まる小さな蝿のことをショウジョウバエというのはそのせいだろうか(ひょっとすると目玉が赤いからかも知れないが)。

 また、ショウジョウの血で布を染めると、何百年も色あせない緋色になると信じられていた。この緋色のことを猩猩緋と呼ぶ。そのためショウジョウという言葉は「赤い」ものを表す代名詞にもなっている。ショウジョウトンボといえば赤トンボの一種だし、ショウジョウトキといえば、羽の赤い種類の朱鷺である。

 しかし、猩猩緋という色あせない赤色はサルの血で染めたものではなく、トルコ原産のケルメス虫やインド原産のラック虫から作った染料で染めたものだそうだ。コロンブスが新大陸を発見してからは、南米原産のコチニール虫というサボテンにつく虫で染めたものも猩猩緋と呼ばれた。上杉謙信が持っていたという猩猩緋のマントは、どうやらコチニールで染めたものらしい。
 どの虫で染めた布も、何百年も色あせずに残るそうだ。


 
知恵の神トート
 エジプトの知恵の神トートはトキ頭で人の姿をしているのが有名だが、マントヒヒとして描かれることもよくあった。
☆イヌ顔のショウジョウ
 『山海経』には登場しないが、ショウジョウはときにイヌのような生き物だとも言われる。けれどオランウータンはどう見ても犬っぽくはない。ほかにもモデルになった生き物がいそうである。あれこれ考えているうちに、基本的にはサルだけど犬のようだと言われる実在の生き物を思いだした。それはマントヒヒ

 サルにしては犬のように鼻先が長くて体つきも犬っぽい。オスにはマントのようなフサフサのたてがみがあるので髪が長いといわれるのも納得できる。主にアフリカに棲む生き物だがアラビア半島にもいるそうで、中国にも存在が知られていた可能性はあるだろう。
 また古代エジプトで神々の書記であるトートがマントヒヒの姿で描かれたことは見逃せない。禹王の悩みを解決するほどの知恵者には適役ではないか。


 
 ところで、一般的にはサルかイヌのようなものだと言われているショウジョウが、ウシの姿をしていた時代があるという。

 『山海経』には後世の研究者がさまざまな解説を書いているが、東晋時代の郭璞(かくはく)が書いた解説は特に有名である。その郭璞がショウジョウについてこう書いているのだ。

 解説者はこれを禺(サル)とするのを了せず、牛字になおし、図もまた牛として描き、あるいは猴の字に書きかえるがいずれも誤りである。
 平たくいうと「ウシじゃねぇ、禺(サル)だ。サルといっても猴とは違うんだよ」ということだが、わざわざ書いているところをみると、ショウジョウが牛の姿をしていた時代が確かにあるということだ。

 ショウジョウに牛のイメージがまぎれこんだのには、海内南経の記述が関係していると思う。ショウジョウについて説明した直後に「ショウジョウの西北に犀牛あり。そのかたちは牛のようで黒い」とあって誤読しやすい。また、ヨーロッパやインドの伝承にも影響されているのかもしれないが、この点については「釘霊国人」を参照してほしい。

 ウシであり、サル(つまり人に似ている)であり、人の心を読む知恵者であるというショウジョウの姿は、日本でよく知られているある妖怪の特徴と重なる。その妖怪の名は「件(くだん)」という。

 件はウシの体に人の顔をしており、凶作を預言したり、戦争の終わりを預言すると言われている。その歴史は少なくとも江戸時代まではさかのぼることが出来るが、それ以前のことはわからない。

 『山海経』は江戸時代の日本でも盛んに読まれ、『怪奇鳥獣図』のような和製の図版や、『姫国山海録』のように『山海経』をモデルにして作られた本まである。あるいはこの時代に『山海経』が件に影響をあたえていたかもしれないが、今は謎のまま残しておきたい。


 
 妖怪くだん(件)とショウジョウについては掲示板でも話題になりました。詳細は下のリンクへ。

山海経外典「件」

 
 
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