カクハク
郭璞(276〜324)
『山海経十八巻』という注釈書を残した。山海経の注釈書としては最も古く権威のあるものとされている。
東晋時代の中国の人で、占いなどの神秘的な術に通じていた。元帝に仕えていたが、帝が死んだあと王敦という人の部下になる。ところが、王敦の謀反のくわだてを、郭璞が占ったところ大凶の結果がでてしまい、これがもとで怒りをかって殺されてしまう。言い伝えによれば、郭璞は殺されたとみせかけて仙人になったとも言う。 「山海経にも……と書いてある」という場合、本文だけでなく郭璞の注(郭注といいます)からの引用である可能性がある。
カクイコウ
赫懿行(1757〜1825)
『山海経箋疏 十八巻』という注釈書を残した。
清の時代の中国の人で、あまり出世はできなかったようだが学者としては人々に認められていた。かなり貧乏な生活をしていたらしく『山海経箋疏 十八巻』は、完成してもしばらくは出版できなかったという。
赫懿行の赫の字は、本当はこういう字→ですが、文中では赫で代用しています。
ゴニンシン
呉任臣(生没年ともに不明)
『山海経広注 十八巻』という注釈書を残した。
清の時代の中国の人で、その生い立ちはよくわかっていない。『山海経広注』は、かなり多くの資料を集めた注釈書だが、『山海経』をもとにして後世の人がつくった詩歌からの引用であるなど、あまり役にたつものではなかったらしい。
ヒツゲン
畢元(1730-1797)
『山海経新校正十八巻』という注釈書を残した。清の時代の地方役人で、行政手腕より歴史学者として有名。『山海経』に関して多くの資料をもとに綿密な校訂をしており、信頼できる内容だという。
畢元の元の字は[水元]
リジチン
李時珍(1518-1593年)
明時代の本草学者。名前の混乱や迷信のいりまじった本草学を整理して『本草綱目』を著した。
こうまみよし
高馬三良(1911〜)
平凡社版の『山海経』の訳者。
前野直彬
集英社版の『山海経』の訳者。
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