天馬 テンマ
天馬

 獣がいる、そのかたちは白い犬のようで黒い頭、人を見れば飛ぶ。その名は天馬。鳴くときは自分の名をよぶ。(北山経三の巻)--169

絵・文とも『山海経』より


 
 古代中国では、アラビア産の良質な馬を天馬と呼んで珍重していたこともあるようだが、犬のようで人を見れば飛ぶ、という特徴から軍馬になる立派な馬は想像しにくい。かといって、翼の生えた犬なんて実在しそうもない。一体なんだろう?

 翼を魚のヒレととれば、アザラシやアシカなどの鰭脚亜目の生き物と考えられそうだ。だが天馬は「飛ぶ」とある。アザラシやアシカは泳ぎはするが飛ぶものではない。

 また、すでに紹介した天狗も犬のようで飛ぶものといえそうだが、あちらは戦乱の前触れとされる生き物だ。しかし、天馬は「人を見ると飛ぶ」というのだから、天狗にしては弱々しい。
 もしかすると、ものすごく臆病な生き物のことを言っているのではないだろうか?


 
 鹿の仲間にノロというのがいる。非常に臆病な生き物で、水面にうつる自分の姿を見てもびっくりするとまで言われるほどだ。

 姿形はどう見ても犬には見えないが、犬みたいな声で鳴くらしい(残念ながら聞いたことはないが)。
  ノロは中山経に2回だけ名前が見えるが解説はない。

ノロノロ(シカ科)
 ヨーロッパやアジアの森林地帯に棲息。どちらかというと夜行性。地面から背中までの高さは70Cmくらいで、雄には変わった形の角がある。中国では古くから良く知られた生き物で、殷代(紀元前1750年頃〜1121年頃)の遺跡からも骨がたくさん出ており、食用にされていたようだ。

 
キバノロキバノロ(シカ科)
 朝鮮や中国東北部の川辺に棲息。雄は犬歯が発達して牙になるが、肉食動物ではなく、葦などの植物性のものを食べる。背中までの高さは50Cmくらい。雄にも雌にも角はない。
 また、同じシカ科の生き物で、キバノロというのもいる。これまた臆病で知られた生き物で、ちょっとした物音にもびっくりするようだ。ノロよりは小型で、オスにもメスにも角はない。

 全体を見るとあまり犬っぽくはないが、キバノロには名前の通り牙がある(ただしオスのみ)。犬にも牙があるので、かなり苦しいが犬との共通項になりうる?

 また、鹿にしては多産で、1回のお産で平均で3匹、多いと7匹も子供を産む。犬も一度にたくさんの子を生む。


 
 さらに、マメジカといって、体の小さな原始的な鹿の仲間がいる。オスにもメスにも角はなく、やはり犬歯が発達して牙のようになっている。顔つきも鹿っぽくなくて、これなら犬っころと勘違いされることがありそう。

 右は上野動物園で撮ってきた写真。見に行った時は、まだ公開されてから日数がたっていなかったせいか、大きな目をくりっくり見開いて、じーっと動かなかったけれど、興奮するとピョンピョン跳ね回るらしい。この写真はガラス越しに写したものだが、跳ねてガラスにぶつからないように、ネットをはりめぐらせてあった。

 角がなく、犬歯が発達することなどから、昔はジャコウジカの仲間と考えられていたが、今では別の科として扱われている。

ジャワマメジカジャワマメジカ(マメジカ科)
 大きめのネズミみたいに見えるかもしれないけれど、まちがいなく偶蹄目。棒っきれのような細い足の先には、小さな小さな鹿のひづめがちゃーんとある。鹿に近い生き物だが、鹿よりは原始的な動物だと言われている。地面から背中までの高さは30Cmくらい。小型犬とかわらない大きさだ。

 
ジャワマメジカ ジャワマメジカ
 右上の写真と同じ子だと思う。こうやってすわってると、ほとんど鹿にはみえない。大きめの猫くらいのサイズ。

 
 シカにこだわる理由がもうひとつある。天馬という名前だ。犬のようだというのに名前が天馬というのはなぜだろう?
 実は中国にはその名も馬鹿と呼ばれる鹿がいるのだ。学名ではCervus elaphus malalといって、アカシカの亜種だという。生薬について書かれた古い書物『本草綱目』によれば「小さい馬ほどで、地色は黄色く白い斑がある」と書かれている。アカシカはニホンジカより大きな鹿だし、立派な角もあって犬にたとえられる動物ではないが、馬鹿なんて呼ばれる生き物がいるなら、馬という言葉から鹿を連想してもよさそうに思うのだが……(ちょっと無理がある?)。

 余談だが、愚かな人を馬鹿というのは、秦の始皇帝の後を継いだ胡亥という王様の故事によるもの。この王様はちと頭が弱かったようで、趙高という家来に操られていた。
 あるとき、趙高は王の前に鹿をつれてきて、馬だと言って献上した。さすがの王様も「これは馬ではない、鹿だ」と主張し、居並ぶ人々に同意を求めた。
 趙高はいずれ自分が王になろうと考えていたので、このとき王に賛同した者を自分の敵としてかたっぱしから暗殺したという。


 
 もちろん、文字通り犬とも考えられる。先日、何気なくテレビを見ていたら、興奮して鹿のように跳ねまわっている犬が映っていた。勉強不足でどういう犬種だとは言えないが、ジャンプの得意な犬種はけっこういそうなのだ。

 郭璞は「天馬には肉翅がある」と言っているが根拠になりそうな文献はあげていない。肉翅とは肉と皮でできた翼のことなので、ムササビやモモンガも候補に上げていいのかもしれない。

 
 
前ページへ表紙へ次ページへ